今こそ「愛しあってるかい」

西日本新聞 オピニオン面 永田 健

 分断の時代である。人々が立場の違いで真っ二つに分かれ、相手の意見を全てうそだと決めつける。

 ヘイトの時代である。よその国や民族を侮辱し、彼らへの憎悪をあおる言説が世の中にまかり通る。

 不寛容の時代である。ちょっとした言葉や行動を捉え、その非を攻撃する投稿がネットにあふれる。

 こんな時代だからこそ、あの男の、あの声を無性に聞きたくなるのだ。

   ◇    ◇

 忌野清志郎(1951~2009)。RCサクセションを率いて、日本のロックシーンをリードした。「ザ・キング・オブ・ロック」の異名を持つ。

 ロックスターを語るのに「忌野氏」もないだろうから、以下「清志郎」と書かせていただく。

 その清志郎がライブで観客に呼び掛けていた言葉が「愛しあってるかい」。人気絶頂期にはファンのみならず、世間一般にも流行語のように広まった。

 RCの衣装係やマネジャーを務めた片岡たまきさんによると、清志郎がこのせりふを使い始めたのは、RCがフォークからロックに移行し、渋谷のライブハウス「屋根裏」で熱いライブをしていた1978~80年ごろだろうという。

 「清志郎が、敬愛するオーティス・レディング(米国のR&Bシンガー)のライブ映像を見ていたら、We all love each other,don't we?と観客に語り掛けるシーンがあった。それに『愛しあってるかい』の字幕が付いていて感動したのが始まり。オーティスのステージングに自分の目指すものがあったともいいます。当時はシンプルに、『かっこよさ』をまねたのでしょうね」

 その後の一時期、清志郎の曲にはメッセージ色が強まった。88年に反原発などを盛り込んだ曲を入れたアルバムを制作したところ、レコード会社が発売を中止。清志郎は覆面バンド「ザ・タイマーズ」を結成してさらに社会性の強い曲を歌い、過激なパフォーマンスを繰り出した。

   ◇    ◇

 2008年2月。病気で活動休止していた清志郎は、日本武道館で「完全復活祭」と題するライブを敢行した。ライブの終盤、汗まみれになった清志郎が観客に語り掛ける。

 「最近世の中殺伐としてるけど」「21世紀になってずいぶんたつけど」「全然世界は平和にならないけど」「今夜、みんなに聞きたいことがあるんだ」

 「愛しあってるかい」

 「愛しあってるかい」

 「愛しあってるか――い!」

 満場の観客が「イエーイ!」と返す。片岡さんはそれを舞台の袖で聞いた。

 「『愛しあってるかい』を言わない時期もあったけど、復活祭の頃はまた言ってるんですね。晩年にはその言葉に、人類愛のようなものを感じます」

   ◇    ◇

 清志郎が亡くなって今年で11年。片岡さんに「屋根裏」のあった場所を教えてもらった。現在そこにはファッションビルが立つ。

 清志郎が感動したオーティスのライブは1967年に開催された。その4年前にケネディ米大統領が暗殺され、1年後にキング牧師が殺される。そんな時代だった。今また米国でも日本でも人々が分断され、不寛容が社会を覆う。

 年が明けて幾分華やかさを増した渋谷の交差点に立ち、行き交う人々に心の中で呼び掛けてみる。

 愛しあってるかい?

 (特別論説委員・永田健)

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