「社会は変えられる」ものだ 佐藤直樹氏

西日本新聞 オピニオン面

◆この国の未来

 税金を使っての地元支持者の大量ご招待に、内閣府による疑惑の出席者名簿廃棄等々。「桜を見る会」騒動で終わった2019年だった。安倍晋三首相の露骨なオトモダチやミウチ優遇も見苦しいが、この問題が深刻だと思うのは、首相のアタマの中から、仲間ウチの外側にあるはずの「社会」が、きれいさっぱり抜け落ちていることである。

 しかもこれは、政治だけの問題ではない。仲間ウチで盛り上がるだけで、社会が見えていないという点では、昨今の若者の「バイトテロ」も同じだ。また「君の名は。」に続き、昨年ヒットした新海誠監督の「天気の子」。セカイ系とよばれるこれらの映画では、恋愛など個人的な営みが、隕石(いんせき)衝突や気候危機など世界の大問題に直結して描かれる。

 社会学者の土井隆義さんによれば、セカイ系では中間項の社会の領域が欠落し、社会自体を変えようという発想がない。日本青少年研究所の高校生の生活意識調査では、「現状を変えようとするより、そのまま受け入れたほうが楽に暮らせる」と答えた若者が、1980年に約25%であったのが、2011年には約57%に倍増しているそうだ。

 「社会変革」や「社会改革」という言葉があるように、社会の特徴はそれが変えられることにある。そもそも社会は江戸時代にはなく、明治時代の西欧化=近代化の過程で、1877年頃にsociety(ソサエティー)を翻訳した造語である。ではこの140年ほどの間に、本来の意味での社会がこの国に定着したかといえば、私はかなりアヤシイと思っている。

 しかし海外に目をやれば、昨年「香港に再び栄光あれ」というプロテストソングまで誕生させた、香港デモの担い手となった若者たちは、社会を変えられると思っている。お隣の韓国でも頻繁にデモがあり、政治のあり方に大きな影響を与えている。

 私が危惧するのは、今年も「桜を見る会」のような騒ぎが続発することで、ますます社会が忘れられ、「何も変わらない」という一種の宿命論が蔓延(まんえん)することだ。置かれている政治状況は海外とは異なるが、この国の未来に希望を見いだすために必要なのは、「社会は変えられる」という原理原則を、けっして手放さないことである。

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 佐藤 直樹(さとう・なおき)九州工業大名誉教授 1951年生まれ、仙台市出身。九州大大学院博士後期課程単位取得退学。専門は世間学、現代評論、刑事法学。「日本世間学会」幹事。新刊「加害者家族バッシング」が1月末に出る。

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