アイドル編<447>天才アレンジャー(中)

西日本新聞 夕刊 田代 俊一郎

 昨年末、ピアニスト山田秀俊(67)のライブが福岡市東区箱崎の「箱崎水族館喫茶室」であった。山田は天才アレンジャーと呼ばれた大村雅朗が編曲した松田聖子の曲も演奏した。その場所からほど近い博多区奈良屋町で生まれ育った大村とは「80年代を駆け抜けた同志」であり、「80年代サウンドを共につくった」というプライドも共有した。山田は録音スタジオで、誰よりも長く過ごした大村を次のように振り返った。

 「無口でもの静かな人でしたが、しんが強く、新しいサウンドを追い求めたアレンジャーでした」

 山田は大分県津久見市生まれで、中学時代からピアノを独学していた。慶応大在学中に同じ大分県出身の南こうせつなどからの誘いで音楽活動を始めた。70年代は南や五輪真弓、吉田拓郎などのツアーに参加し、80年代はスタジオワークが中心になった。大村とは1979年、友人を介してスタジオで会ったのが最初だ。

   ×    × 

 大村は地元の福岡大付属大濠高を卒業後、ポピュラー系の指導者を育成する音楽学校の「ネム音楽院」(現ヤマハ音楽院)の一期生として入学した。優秀生として卒業後、ヤマハ音楽振興会九州支部のスタッフとして博多に戻った。同時に母校の大濠高の吹奏楽部なども指導した。大村は「ブラスバンドは僕の中の音楽を作り上げた要素です」と語っている。

 大村は基礎固めをした後、1978年に満を持して上京した。八神純子の「みずいろの雨」の編曲でスポットライトを浴び、その後、アレンジャーとして「謝肉祭」(山口百恵)「モニカ」(吉川晃司)「早春物語」(原田知世)「My Revolution」(渡辺美里)など多くの曲に関わった。

 山田はアレンジャーの力量について「一発でわかる」と言う。編曲の見せどころに一つはイントロ-間奏-アウトロ(終奏)だ。イントロは「歌が出てくるように」、間奏は「歌にもどりやすいように」、アウトロは「最初にもどるように」-これが山田の基本的な考え方だ。

 「大村さんの編曲はいつも完璧でした。言い争うことは一度もなかった」

 山田は大村の楽譜に絶対的な信頼を寄せていた。

 「編曲は出来上がった五線譜がすべてなのに、スタジオ内で五線譜から離れていくような説明をするアレンジャーがいるが、大村さんはそんなことはなかった」

 山田はその夜のライブでは22年前に死去した大村を懐かしみ、悼むように弾いた。  =敬称略 

  (田代俊一郎)

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