修猷館高になぜ五輪旗が? 新聞部が調べてみた

西日本新聞

 福岡県立修猷館高校の資料館には、1964年の東京五輪で国立競技場のメインポールに掲げられた五輪旗が展示されている。縦約140センチ、横約210センチ。黄ばみやほつれが歴史を感じさせる。なぜ五輪旗があるのか。誰の手を経て、どうやって本校に来たのか、調べた。

 昨年9月7日、本校で大運動会の開会式が始まった。入場行進では、運営委員会幹部ら8人が手にした五輪旗に注目が集まった。伝統ある風景だ。長年教鞭(きょうべん)をとる渡辺公利先生(69)は「この五輪旗は『不羈(ふき)独立』の精神を体現する大運動会の象徴だ」と話す。不羈独立とは自らの考えに従って道を切り開くことを意味する。大運動会も生徒たちが主体となりつくり上げる。この五輪旗はレプリカだが、昔は実物を使っていたという。

 修猷館高同窓会が発行した「聖火」(65年)には、寄贈したのは本校卒業生で東京大会組織委員会の会長を務めた安川第五郎氏だとの記載があった。大会終了後、国際オリンピック委員会(IOC)から日本オリンピック委員会(JOC)を経由して、大会に尽力した安川氏に贈られた。安川氏は「若い人たちの奮起に役立つならば」と母校に寄贈したという。

 安川氏は組織委員会会長となった後、何度か本校を訪れている。開会式が1カ月後に迫った64年9月10日も講演を行った。当時2年生で新聞部員だった二見茂さん(73)=茨城県つくば市=は、安川氏が「終戦から19年という短期間で、日本が再び国際社会の一員として受け入れられたことは感慨深い」と言ったことを覚えている。二見さんは「それは安川氏一人の思いではなく、日本人全員の思いだと感じました」と語る。安川氏に感銘を受けた二見さんは、安川氏が設立した安川電機製作所(現安川電機)への就職を決意した。

 前回東京大会と本校は、五輪旗以外にも深い縁がある。陸上部員が聖火リレーのランナーを務めたのだ。伴走をした荒津一郎さん(72)=横浜市=は当時高校2年生。伴走が決まった時、「絶対に成功させなければ」と責任感が湧いてきたという。当日、沿道に大勢の市民が詰めかけ、誇らしい気持ちになったそうだ。「自分史の中の大切な一ページです」。荒津さんの声は生き生きとしていた。

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 今まで五輪はスポーツの祭典だと思っていた。しかし大会をつくりあげるには、安川氏をはじめ多くの人の熱い思いがあったこと、東京から遠い九州の高校生の人生を変えるようなものでもあったことを知った。五輪旗一つにさまざまな思いが詰まっている。今年の東京大会は私たちにたくさんのものをもたらすだろう。楽しみになってきた。(修猷館高校新聞部・前田麻妃、由井琴葉)

久留米商業、三潴高校にも

 1964年東京五輪で掲げられた五輪旗は修猷館高校(福岡市早良区)のほか久留米商業高校(福岡県久留米市)、三潴高校(同)でも保管されている。いずれも大会関係者が寄贈した。熊本県あさぎり町のあさぎり中学校にも、2013年に学校関係者の遺族から贈られたものがある。

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