【難民・アフガン 命を守る】①帰還 末娘の姿今はなくとも

西日本新聞

 アフガン復興が語られ始めた今このときにも、四百万難民がさまよう。戦乱、干ばつ、貧困によって生まれ、国際社会が忘れてきた人たちだ。彼ら、彼女らに寄り添っている医療非政府組織(NGO)がある。新しい戦争でアフガンが注目されるずっと前から、現地で難民の命を守り続けるペシャワール会(福岡市)。その活動を現地から報告し、私たち日本人に何ができるかを考える。 (アジア取材班・原田正隆、山崎健)

 スィーマ(28)が再び病院を訪れたのは、昼休みを告げる鐘が鳴って間もなくだった。一月三日。パキスタン・ペシャワルの空は青く澄んでいた。アフガン難民スィーマは、娘が世話になったことへのお礼と、帰郷の報告に立ち寄ったのだった。

 昨年十月末。アフガニスタン東部ジャララバードから逃れてきたスィーマは、生後六カ月のムジュガンを抱いてペシャワール会医療サービス(PMS)病院に駆け込んだ。悪性マラリア。集中治療室で主任看護婦・藤田千代子(43)が点滴用の針を刺しても、ムジュガンは反応しない。

 薬も効かぬまま翌夕、心臓の鼓動が止まった。人工呼吸を続ける医師。藤田は人さし指と中指でムジュガンの小さな胸を繰り返しマッサージした。

 手遅れだった。つらかった逃避行、薬が買えなかったこと…。それらが頭をよぎる。スィーマは、こぶしでひざを何度もたたき、泣き崩れた。

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 政府軍将校だったムジュガンの父アラム(33)も悪性マラリアに苦しんだ。八年前、その後遺症で働けなくなった。

 一家七人は十月、ペシャワルにいるアラムの弟を頼ってアフガンを脱出した。国境までは知人の車で、その先は徒歩とバスでつないだ。カイバル峠で朝一番のバスを四時間待った。ムジュガンは夜露にせきこんだ。

 国境を越えたとき、ムジュガンの顔は高熱でほてっていた。入院した病院でマラリアといわれた。

 パキスタンでは、薬や注射器など治療に必要なものは、患者側が買いそろえなくてはならない。医師は治療薬ハロファンをのめば、すぐに治ると言った。スィーマは薬屋に走った。赤ん坊に十分な三錠は百十三パキスタンルピー(約二百三十円)。一家には準備できなかった。

 五日目の朝。ベッド代も尽きたスィーマは、ムジュガンを抱いて病院を出た。貧しい人々を無料で診てくれるPMS病院のことを聞いた。

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 イスラム教徒の葬儀は盛大である。貧しい家庭でも、多くの人々を招いて食べ物をふるまい、祈ってもらう。難民のアラム一家はムジュガンが死んだ夜、自分たちだけで弔うしかなかった。亡きがらは、農村のはずれの墓地に埋めた。

 戦乱に明け暮れたアフガンは、乳児死亡率が世界で最も高い国の一つだ。千人のうち百六十人以上が一歳になる前に死ぬ。ムジュガンが息を引き取ったとき、藤田はこれまで救えなかった難民の子どもたちのことを思った。栄養失調、腸チフス、肺炎、マラリア…。日本で簡単に治せる病気の子どもたちが何人も死んでいった。

 そういうことなのだ、割り切るしかない、と藤田は自分に言い聞かせる。目の前の患者に最善を尽くすことだけを考えなさい、と。

 アフガン復興という言葉が聞こえ始めた。ムジュガンの両親は、今月中にも帰郷しようと決めた。病院を再訪し、そのことを藤田に伝えたスィーマは、最期までムジュガンのために手を尽くしてくれたあなたたちを忘れない、と言った。

 国境を再び越えるとき、生後間もなかった末娘はいない。スィーマと藤田は別れの抱擁をした。くじけずに生きていく―そう言い残して川沿いの道を帰っていったスィーマを、藤田もまた忘れない。

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