【難民・アフガン 命を守る】④責務 じっと待つ人々がいる

西日本新聞

 六台のトラックがパキスタン・トルハムの国境ゲートを通り、アフガニスタンに入った。合わせて百七十トンの小麦粉を積んでいる。年明けに再開した食料配給の第一陣。ペシャワール会医療サービス(PMS)病院副院長のアフガン人医師ジア(44)は、後続の車の中で配給手順について考えを巡らせた。

 昨年十月初旬、干ばつのさなかに始まった米英軍の空爆。直後、ペシャワール会現地代表の医師中村哲(55)は、基金をつくって日本に募金を呼びかけ、カブール、ジャララバード周辺で小麦粉と食用油を配ることを決めた。間もなく、中村ら日本人スタッフは退去勧告を受ける。九十万人が餓死するといわれていた。空爆下で配給の指揮を執ったのがジアだった。

 再び配給に向かうことになったジアは、砂ぼこりに煙る道を揺られながら、当時カブールで開いた緊急ミーティングを思い出していた。

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 食料配給開始を数日後に控えた十月下旬のことだった。ジアはスタッフ三十数人をカブール中心部のPMS事務所に集めた。空爆からの身の安全を保証できない以上、これから逃げても構わない、と伝えるつもりだった。

 爆撃は昼夜を問わず続いていた。近くにタリバン高官やアルカイダ関係者の住居があった事務所は、空爆の衝撃で揺れた。赤十字国際委員会の建物は二度誤爆された。

 緊急ミーティング中にも爆撃音が聞こえた。だが、事務所を去る者はいなかった。

 既にカブールは、干ばつ被災民であふれていた。世界食糧計画など国連機関からの援助は届いていなかった。人々は逃げまどうか、死を待つしかない状態だった。

 「人々を死のふちから救うのは、医療を仕事とする私たちの当然の責務だ」。若いアフガン人看護士のひと言が流れを変えた。翌朝、配給に向けて調査を始めた。大半のスタッフが残った。

 カブール東部だけで五万人が飢えていた。壊れた家の中で、堅くなったパンのかけらと唐辛子をしゃぶって生き延びている幼子がいた。「私たちは逃げない」。その決意がジアたちを支えた。

 空爆下のカブール、ジャララバードで、配給は十二月まで続いた。十万人以上を救った。

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 アフガン東部ニングラハル州アチンの農村。年明け早々、配給再開のための調査に入ったPMS病院スタッフに、村の長老が一枚の赤い紙を見せた。長老によると、それは食料と交換できるカード、のはずだった。

 年末、海外非政府組織(NGO)スタッフを名乗る数人のアフガン人が村に来た。一家族当たり数週間分の小麦と交換すると言って、一枚三百パキスタンルピー(約六百円)で紙片を売り始めた。すぐに四千枚売れた。

 ところがNGOは現れない。年が替わって、そのNGOは存在しないと分かった。食料難につけ込んだ詐欺。あなたたちは信用できるか、と長老はスタッフに聞いた。

 暫定政権が発足しても、人々は飢えと渇きと寒さの中にある。アフガン東部では、米軍がウサマ・ビンラディンとアルカイダの掃討作戦を続けている。食料支援は時間との闘い。ジアらは、二月までに備蓄分の小麦粉三千トンを東部で配り終えようと急いでいる。

 今月十日、アチンの農村にも小麦粉が届いた。(敬称略)

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