【難民・アフガン 命を守る】⑤枯渇 何とか生き延びておれ

西日本新聞

 アフガニスタン東部、クナール川の奥地にあるダラエ・ヌール渓谷。福岡市の医療非政府組織(NGO)ペシャワール会が運営する診療所の門の前に人だかりがしていた。

 診察を待つ間に、乳飲み子が母親に抱かれたまま死んでいった。ペシャワール会現地代表の医師、中村哲(55)は驚がくした。皆、赤痢にかかっていた。一年半ほど前の話である。

 その六月のころは、クナール川の水かさが増すはずだった。だが水位は下がったままで、ひからびた畑が広がっていた。

 高地乾燥性気候のアフガン。年間降水量は日本の1%にも満たない。ヒンズークシ山脈の氷雪が春から解けて地下水脈に流れ込み、人々の暮らしを潤す。しかし、異常気象で雪が減り、地下水脈が枯れ始めたのだ。

 渇きに耐えられない村人たちは、泥水をすすって赤痢になり、多くの幼児が死んでいた。中村は干ばつの到来を知った。

 米中枢同時テロに続く空爆で注目されるようになったアフガン。国際社会は今、荒廃した国土の復興を競って論じる。国民の九割が農業を営むアフガンは、干ばつによって二〇〇〇年からひん死の状態だった。

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 その年だけで被災者は千二百万人に上った。畑がひび割れて家畜を売った人々は、飲み水さえなくなり、村を捨てた。都市部は国内避難民であふれた。

 中村は、人々が流浪することを恐れた。助かるはずの病人を死なせてしまうことになる。

 「病気は後で治せる。ともかく村で生き延びておれ」

 ダラエ・ヌール渓谷から戻った中村は、アフガン東部で井戸を掘ることを決めた。日本人スタッフの蓮岡修(28)が核となり、後に目黒丞(すすむ)(29)も加わった。

 かつて欧米のNGOがボーリング機械を使って大規模に掘った井戸は枯れ、村人だけでは水を呼び戻すことはできなくなっていた。

 現地の生活実態や考え方を尊重することなしに、NGO活動が根付くことはない。シャベル、つるはし、チャハル(地元の鉄製滑車)…。蓮岡は住民を雇い、これらの道具を使った手掘りを中心に作業を進めた。

 昨夏までの一年間にアフガン東部で掘った井戸と修復したカレーズ(かんがい用水路)は五百五十カ所に達した。目標は千。テロと空爆が計画を狂わせた。

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 今月上旬。目黒はダラエ・ヌール渓谷のブリアライ村の枯れた井戸端に立った。テロ発生後の退去勧告で出国してから四カ月たっていた。

 山の斜面に張り付いた集落に数千人が住む。ジルガ(長老会議)の陳情を受けて、昨春から掘り進めた井戸だった。

 目黒が去った後、作業は村人たちの手で続けられ、一時は一メートルまで水がたまった。水を吸い上げながら掘り進めればよかったが、村人たちにそんな技術はなく、結局は枯れた。目黒は指導できなかったことを悔やんだ。

 井戸は再生できそうだった。目黒は、いつか必ずこの井戸が段々畑を潤す、と信じた。

 自給自足のできる農村の復興こそが、難民の帰郷を促す。中村はこれから三年で、新たに二千の井戸、百五十の農業用水源をつくる計画を立てた。

 「よく戻ってきてくれた」。ブリアライ村の長老が、手を差し出して目黒を迎えた。目黒はその手をしっかりと握り返した。(敬称略)

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