【難民・アフガン 命を守る】⑥信頼 ずっと近くにいるから

西日本新聞

 チャドルで顔を覆った三十代後半の女性が、看護士に尋ねた。「シスター藤田はいますか」。年末の朝のペシャワール会医療サービス(PMS)病院。主任看護婦の藤田千代子(43)が姿を見せると、女性はチャドルを取ってにこりとした。名前はハリマ。藤田は初めて会ったときと変わらない笑顔だな、と思った。

 藤田は鹿児島県高山町出身。一九八九年、働いていた福岡県春日市の病院でペシャワール会現地代表の医師、中村哲(55)の講演を聞いた。

 中村は当時、パキスタン・ペシャワルのキリスト教系の病院に勤務していた。イスラム社会では女性の立場が弱く、女性患者は粗末に扱われていた。病院のハンセン病棟では、家族以外の男性に肌を見せない戒律がハンセン病の早期発見を阻んでいた。中村は、日本の看護婦に来てほしい、と訴えた。それまでも日本から入れ替わりで来てはいたが、任期が短く、次のなり手を探すのに苦労していた。

 マザー・テレサにあこがれていた藤田は、迷わずに申し出た。赴任が決まって翌年、病院を視察した。最初に入ったのはハンセン病棟。ベッドに横たわっていた女性患者が、藤田を見ると手を差し伸べてきた。当時二十代半ばのハリマだった。

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 アフガン難民ハリマは八〇年に国境を越えてきた。その後、美しい顔立ちが消え、この病院に入院した。

 藤田が出会ったときのハリマは、のどに穴をあけられ、そこに通した短いチューブで呼吸をしていた。現地の医師や看護婦は、体じゅうが膿(う)み、異臭を放っていたハリマに近づこうとしなかった。藤田の前任の日本人看護婦だけが世話をしていた。その看護婦は任期を終えて帰国していた。

 ハリマは藤田に、かすれ声で語りかけてきた。現地の言葉が分からなかった藤田だったが、ハリマがずっとここにいてくださいと言っている、と思えた。着任した藤田は、ハリマの患部を素手でなで、においをかいで腐食の具合を調べた。

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 二〇〇二年を迎えたばかりの女性病棟。事務仕事でも忙しい藤田が、数日ぶりに回診に加わった。かぜをこじらせて入院している十二歳のパキスタン人の少女が藤田に抱きついた。

 生まれつき言葉がしゃべれない少女は、ほおを膨らませ、どこにいっていたのよ、と手話で抗議した。ごめん、と藤田も手話でこたえた。

 入院患者は今、四十人。藤田は全員の病状を詳しく把握している。外来患者についても、よく顔を見せる人なら、その生い立ちまで知っている。

 九四年秋、中村はキリスト教系病院を去り、PMS病院の前身となる病院で貧者のための診療を本格化させる。中村に請われ、藤田も続いた。そこに、藤田を頼る入院中のハリマが、外来としてやってきた。

 鹿児島で一人暮らす母から何度か、帰ってきたら、といわれた。私がいなくなったら、ハリマら女性患者はどう扱われるのだろうか、との不安が帰国を思いとどまらせてきた。

 年末の朝に数カ月ぶりに顔を見せたハリマは藤田に、のどのチューブを換えて、と言った。それは簡単なこと。それでもハリマは入院先から藤田を訪ねてくる。チューブを取り換えながら藤田は、ずっとハリマの近くにいてやりたいと思った。

 藤田は今年、ペシャワルに来て十三年目を迎えた。(敬称略)

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