【難民・アフガン 命を守る】⑦原点 だれもやらないことを

西日本新聞

 ペシャワール会医療サービス(PMS)病院の敷地の一角に、ハンセン病患者のための靴の工房がある。パキスタン北西辺境州にはハンセン病患者を診る病院が三十ほどあるが、靴までつくっているのはここだけだ。職人モルタザ(45)と弟子のハイデル(60)が、黙々と作業をしている。

 工房はペシャワール会現地代表医師、中村哲(55)が考え出した。十五年以上前のことになる。アフガニスタン国境に近いペシャワルには当時、三百万に達する勢いで難民が押し寄せていた。ソ連軍の攻撃と、ムジャヒディン(イスラム戦士)の抗戦が激しかった。

 クリスチャンの中村はペシャワルのキリスト教系病院に求められ、一九八四年から働いていた。難民の中には、重症のハンセン病患者が多かった。偏見と差別から、当時のペシャワルに専門医はいなかった。中村は、自分がハンセン病棟を診る、と申し出た。

□  □  

 最も多いのが、足底穿孔(せんこう)症(うらきず)だった。らい菌によって感覚神経がまひした患者は、靴底のくぎで足の裏に傷やまめができても放置し、やがて穴があいて化のうする。中村は、足を切断して働けなくなっていくアフガン難民たちを目の当たりにする。

 中村のバザールもうでが始まる。靴やサンダルを買い込んでは、病棟でばらした。くぎを使わずに、うらきずを防ぐ履物をつくりたかった。

 既に欧米の医療団体が患者用のゴム製サンダルを大量生産していた。伝統を尊ぶアフガンの人たちは皮を幾重にも重ねてデザインを凝らした履物を好んだ。すぐに受け入れなくなった。

 中村は、伝統のスタイルを守りつつ、丈夫で柔らかい皮を縫い合わせ、靴底にスポンジを敷いた特製サンダルを考案した。八六年、病院内に靴工房をつくる。バザールから腕利き職人をスカウトした。それがモルタザである。弟子になったハイデルは、ハンセン病棟に入院していた手先の器用な患者だった。

 中村は、のちに病院を去り、PMS病院の前身となる診療所を開くときも、二人を同行させた。モルタザは通算十五年以上も工房に住み込むこととなり、ハイデルの息子二人も父とともに病院で働くようになる。

□  □  

 山歩きが好きな中村はペシャワルに赴任する六年前、アフガンとの国境に連なるティリチ・ミールの登山隊に隊付き医師として加わった。

 道すがら、村々から病人が集まってくる。先を急がなくてはならないし、隊員用の薬品をむやみに使うわけにいかない。まともな治療ができず、追いすがってくる病人を見捨てたこともあった。以来、中村は、申し訳なかった、という気持ちをひきずっていく。

 そして、ペシャワルでハンセン病に出合ったとき、苦しむ患者の救済に自分のすべてをささげよう、だれもやらないことをやる、と覚悟した。
 中村は今も、ハンセン病患者からは治療費も薬代も入院費も取らない。

 今月七日の夕方。今年初めて病院スタッフの前に立った中村は、これからアフガンで農村復興支援に乗り出すが、ハンセン病などの恵まれない患者のために尽くすとの初心を決して忘れまい、と説いた。最後尾でモルタザとハイデルがうなずいていた。(敬称略)

PR

国際 アクセスランキング

PR

注目のテーマ