【難民・アフガン 命を守る】⑨誓い 国境を超えて集う良心

西日本新聞

 色あせた革ジャンパーを着た男が、ゲリラ拠点の岩に腰掛けて笑っている。その若き日を切り取ったスナップ写真を、ペシャワール会医療サービス(PMS)病院の主任看護士アーベット(38)は大切にしている。

 約二十人の看護士を束ねるアーベットは十四年前、外科手術ができる技術を買われ、ペシャワール会現地代表の医師、中村哲(55)のもとに来た。

 腕は戦場で磨いた。アーベットは、アフガニスタン北部パンジシール渓谷で、農家の七男として生まれた。近くの村に、のちに反タリバン勢力の最高司令官となるマスードがいた。

 アーベットが十五歳のとき、ソ連軍がアフガンに侵攻。マスードはムジャヒディン(イスラム戦士)のゲリラ組織をつくり、その渓谷からほう起する。若者たちはマスードのもとに結集した。アーベットの六人の兄も。人を殺すことをどうしても受け入れることができないアーベットは、衛生兵を志願した。

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 天然の要さいといわれるアフガンの険しい山岳地帯の懐深くにゲリラの拠点はあった。

 マスードを支援していた「国境なき医師団」のフランスチームが戦況悪化で去ると、十代のアーベットが負傷者を診ることになった。洞穴の野戦病院を転々とし、腕や足の切断手術にメスを執った。経験の浅さから、救えない兵士もいた。

 五年の間に、四人の兄と父が戦火に散った。米国がゲリラ側にてこ入れし、ムジャヒディンのジハード(聖戦)は、米国の代理戦争に転じる。

 だれのための戦いなのか、と自答していた二十三歳の冬、アーベットはパキスタン・ペシャワルの病院で医療技術訓練を受けることになった。初めて訪れた隣国の街には、アフガンからの難民があふれていた。

 アーベットが訓練を受け始めた病院にも難民の患者がやって来た。みんな貧しく、受けられる治療は十分でなかった。この祖国の人々のために自分は何かすべきではないのか。そう悩み始めたころ、アフガン難民のための医療チームをつくったばかりの中村に出会った。

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 二〇〇二年が明けたばかりのPMS病院に、高熱で意識を失った四歳のアフガン難民の男の子が運び込まれた。肺炎を起こしている。熱が下がらなければ最悪の事態も考えられた。

 アーベットは、幼児には少し強いが、即効性のある抗生物質を注射した。パキスタン人の後輩看護士ヤーマスディン(26)に大量の氷を用意させ、男の子の体を冷やした。一時間後、意識が戻った。二人は顔を見合わせ、うなずいた。

 二十年以上続いたアフガンの戦乱は、アーベットの祖国から大量の難民を生み、祖国には荒廃した大地を残した。その祖国のために、「人助け」の一念で日本から来た中村が奮闘している。

 アーベットは、PMS病院入り口のプレートに刻まれた中村の志が好きだ。「民族と国境を超え、平和と融和を掲げ、日本とパキスタン、アフガニスタンの良心を体現することをここに誓う」

 百二十人の病院スタッフはアフガン人、パキスタン人、日本人からなる。アフガン人はパシュトゥン、タジク、ウズベク、ハザラなどさまざまな民族が集まっている。

 アーベットは、この仲間たちとともに、戦火から逃れてきた祖国の人々の命を救う闘いを続けたいと思っている。(敬称略)

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