【難民・アフガン 命を守る】⑩取材ノート 「現地と存る」を貫いて

西日本新聞

 今月七日、パキスタン北西辺境州のペシャワル。医師中村哲(55)は、今年初めてペシャワール会医療サービス(PMS)病院で回診した。髄膜炎にかかったアフガニスタン人女性パルビナ(22)がいた。空爆下のトラボラで発病し、一日に入院したばかりだった。

 処置が遅れると死ぬこともあるが、中村が来たときには、薬が効いて快方に向かっていた。パルビナの母親は「あなたのことをトラボラで聞いた。お金がなくとも娘を助けてもらえると信じてきた」と中村に言った。

 福岡市の医療非政府組織(NGO)ペシャワール会が運営するPMS病院。取材班が出会ったアフガン難民は皆、この病院のことを役所や他のNGOからではなく、難民キャンプや故郷の村々で耳にして来ていた。

 中村がアフガンとパキスタンでほそぼそと始めた医療支援は、貧しい人々から信頼され、根を張り続けている。その活動は十八年になる。

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 ゼロからではなく、マイナスからのスタートだった、と中村は言う。

 最初に赴いたペシャワルのキリスト教系病院のハンセン病棟。医療器具と呼べるものはピンセット数本、壊れた聴診器一本だった。医療倫理もないに等しかった。使い捨て注射器を何度も使っていた。オーブントースターにガーゼを入れ、きつね色に焦げたら「消毒済み」だった。

 設備を整えるための金策に苦労した。それ以前に、現地スタッフの技術や医師としての使命感、倫理観を高める必要があった。中村は難民らの救済に奔走する傍ら、スタッフの訓練に時間を割いた。

 中村は、いつも古びたグレーのスーツを着ていて、のんびりした雰囲気を漂わせる。とぼけた感じで物腰も柔らかい。ところが、スタッフの訓練となると、厳しい形相に変わる。

 死のふちにある現地の人々を一人でも多く救うためには、現地スタッフの自立が欠かせない。

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 「金がなくても生きていけるが、雪がなくては生きていけない」。アフガンのことわざだ。

 二〇〇〇年初夏。アフガンを潤すはずの雪解け水が流れて来ず、干ばつの予兆を感じた中村は、このことわざの持つ意味の重大さに気づき、いち早く井戸掘り事業を展開した。二十万人以上が難民になるのを防いだ。現地で「井戸掘り医者の奇跡」と呼ばれた。

 現地の生活や文化に精通し、それを尊ぶ中村。さまざまな活動に、その中村流が貫かれている。

 今年から始めるアフガン東部での農村再建事業もそうだ。農業用水の確保のためには、地元に根付いているカレーズ(かんがい用水路)やジューイ(高地から引く小川)をこつこつと整備していく。それぞれの土地に合った作物を時間をかけて選び、栽培の可能性を探っていく。

 世界がアフガンを忘れていたとき、中村は「人のやりたがらぬことをやる。人が行きたがらない所へゆく」の信念を貫き、アフガンの渓谷をロバで越えては、病人のもとを訪ねた。中村は「アフガンは今、脚光を浴びているが、また急速に世界から忘れ去られるだろう」と言う。それはアフガンをきちんと伝えてこなかった私たちメディアに対する痛烈な批判でもある。

 取材班は、その言葉を忘れず、これからもアフガンをはじめとするアジアの難民問題を追う。そして、私たち日本人に何ができるかを考え続けたい。(敬称略) (アジア取材班・原田正隆、山崎健)=おわり

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