原田種夫「豊州文学」に寄稿 別府市の市民団体、米国の図書館で発見

西日本新聞 大分・日田玖珠版 稲田 二郎

 「九州最後の文士」と呼ばれた作家、原田種夫(1901~89)が、終戦翌年に大分市で発行された同人誌「豊州文学」に小説や詩を寄稿していたことが分かった。福岡市を拠点に活動した原田は、発行元の豊州文学社(大分市)の求めに応じて執筆したとみられ、当時、大分で高揚する文学熱に貢献しようとしたことがうかがえる。

 原田種夫は芥川・直木賞候補に計4度選ばれた小説家。九州全域の作家が初めて結集した同人誌「第二期 九州文学」の編集発行人も務め、73年に西日本文化賞、76年に福岡市文化賞を受賞した。

 豊州文学は46年9月に豊州文学社が発刊。創刊号には「終戦を契機として新日本文学の建設と地方文学の確立発展を目的として生まれた」と記されている。原田は創刊号に小説「返り花」を出稿。初めて作品集を出す詩人とその家族の様子を描いた。創刊号にはほかに芥川賞作家の火野葦平が評論、日田市の芥川賞候補作家岡田徳次郎が詩を寄せている。

 原田は第2号(47年3月)に詩「みの虫の歌」、第3号(47年10月)にも詩「貧窮譚(ひんきゅうたん)」を寄稿。さらに、48年8月号にも小説「漂泊の人」を掲載している。「漂泊の人」は原田の全集にも未掲載で、戦後に連合国軍総司令部(GHQ)が検閲した資料を保管する米メリーランド大学ホーンベイク図書館の「プランゲ文庫」から、大分プランゲ文庫の会(別府市)が見つけた。

 「漂泊の人」は、平安末期から鎌倉時代に生きた武士で僧侶の西行をモチーフに思想的変換について描いており、戦後の民主主義への転換をオーバーラップさせている。大分年鑑によると、豊州文学は52年までには発行をやめている。

 九州の文学界に詳しい火野葦平資料館(北九州市)の坂口博館長によると、当時は九州文学のメンバーらが作品発表の場として、各地で文学誌を発行。その中で九州文学のリーダー的存在だった原田らに執筆を依頼していたという。

 大分プランゲ文庫の会の白土康代代表は「豊州文学以外にも当時の大分の雑誌には全国からの寄稿が珍しくなかった。終戦直後の地域文化の広がりと熱を感じる」と話している。 (稲田二郎)

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