哀愁、焼き鳥の味

西日本新聞 オピニオン面 上別府 保慶

 「令和おじさん」こと、官房長官の菅義偉氏は新年もまた、1強政治のおごりがもたらすほころびの弁明に追われる日々だ。

 思い出すのは、菅氏と同じく新元号の墨書を掲げて見せた「平成おじさん」の小渕恵三氏のこと。今は亡き元首相だ。彼が天井の黒くすすけた焼き鳥屋で背中を丸めて串をくわえ、権力から滑り落ちた無常を嘆く姿を見たことがある。

 あれは1993年秋のこと。自民党小渕派の番記者たちが、非自民連立政権の成立で下野した小渕氏らを励ますために、全員2千円の割り勘ということで開いた懇親会だった。

 私はこの時、社会党の担当で、都合が付かない先輩記者の代打ちで加わった。派閥が元気な時なら、いちげんの記者などつまみだされるところだが、何も言われずに拍子抜けした。

 狭い小上がりに小渕氏のほか、野中広務、綿貫民輔、村岡兼造氏らそうそうたる顔ぶれが詰め込まれ、記者十数人と立て膝で座る。遅れて来て端っこに座った某紙の記者などは、土間に落ちまいと必死で、私をいぶかしげに見た。

 小渕氏の目はうつろだった。「焼き鳥かあ、野党の悲哀ってもんだな。これが」。口を突くのは、やれ官僚がさっぱり訪ねてこなくなった、国会に来ても暇だよな、の愚痴ばかり。

 幹事役の某通信社の記者は、安い場所でと行きつけの店を選んだのだが、終始「まずかったかな」と目が泳いでいた。通夜の方がまだ明るそうな宴は、1時間も持たずに終わった。

 これと裏返しの光景も見た。自民党が与党に復帰すべく政略を仕掛け、社会党とまさかの連立を組んだ時のこと。社会党書記長の久保亘氏は同郷の鹿児島人で親しかったが、この連立には「俺が黙ってついていくと思ったら大間違いだぞ」とひどく怒っていた。

 しかし「野合」と批判された連立政権で蔵相となった久保氏と会った時、「官僚の諸君と政策について議論するのは楽しいよ」と照れながら漏らした。政権入りの過程は彼の志とは違ったが、その笑みには現実を動かせる手応えがあった。

 野党の悲哀を知る政治家は二度と下野すまいと誓う。今、不祥事の渦中にいる面々はそんな記憶などシュレッダーにかけたかのようだ。とぼけようが雲隠れしようが、いずれ選挙のふるいにかけられるのだが。

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 私は小中学生の時にいた大分県玖珠町で西日本新聞を配りました。「僕のアダナを知ってるかい 朝刊太郎と云(い)うんだぜ」という山田太郎さんの歌「新聞少年」を口ずさみ自転車をこぎました。新聞への愛着で記者になりもう還暦。新たなのれんの下でコラムを続けます。 (特別編集委員・上別府保慶)

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