鉄鏡の謎は永遠に… 古賀 英毅

西日本新聞 オピニオン面 古賀 英毅

 1枚の鉄鏡を巡って専門家の見方が分かれている。重要文化財「金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてっきょう)」である。直径約21センチ。ほぼ同じ大きさの鉄鏡が中国の曹操(220年没)の墓から出土しており、両者の関係を考える検討会が昨年末、九州国立博物館であった。曹操墓を調査した研究者、潘偉斌(はんいびん)さんらは「似ていると言えば似ているが…」と断定を避けた。

 重文鉄鏡の論点は二つ。一つは、鏡の価値と意味だ。

 潘さんによると、金や銀をはめ込んだ象眼鉄鏡は、邪馬台国時代に当たる3世紀の中国で、皇帝など位の高い人が持つ権威の象徴だった。出土例は多いが、日本では重文鉄鏡だけだという。

 曹操の鏡は金の象眼が確認されているものの、重文鉄鏡と文様が酷似すると断言できるまでには至っていない。潘さんは「装飾が重要」とし、重文鉄鏡も中国ならば高位の人物のものだと認めた。「(中国の魏王が下賜した)卑弥呼の鏡は装飾鉄鏡」と言う日本の研究者もいる。

 論点のもう一つは重文鉄鏡の由来だ。戦前、大分県日田市で見つかったとされるが、大きな古墳というわけではなく「なぜ日田から?」との疑問がまずある。「筑後から運ばれた」「博多湾沿岸から」「近畿の豪族が持ち込んだ」と研究者の見解も分かれる。

 そもそも重文鉄鏡は日田で出土したものなのか、との意見もある。「邪馬台国九州論者」の高島忠平さんらだ。日田出土と発表した故・梅原末治京都大名誉教授が、奈良の古美術商から買い入れたこの鏡の調査に関わった白木原和美・熊本大名誉教授も日田出土ではないとする文章を昨年発表している。

 検討会で辻田淳一郎・九州大准教授は、装飾鉄鏡が国内でほぼ出土していない理由について、副葬が予想される大型前方後円墳が未調査であることなどを挙げた。大型の古墳から見つかれば日本でも高位の人の所有物だったことが裏付けられる。同時に重文鉄鏡が日田以外の場所で出土していた可能性も高まる。

 だが、大型前方後円墳の多くは天皇や皇族の陵墓であるため、調査は難しい。真相は永遠に明かされないのかもしれない。 (伊万里支局長)

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