目尾炭坑跡を保存活用へ 明治期、揚水ポンプで近代化 飯塚市

西日本新聞 筑豊版 座親 伸吾

 筑豊炭田遺跡群が一昨年10月に国指定史跡となったことを受け、福岡県飯塚市は新年度から、遺跡群を構成する「目尾(しゃかのお)炭坑跡」(同市目尾)の保存活用に向けた計画策定に着手する。昨年12月の市議会定例会で、古河機械金属(東京)が所有する跡地約8900平方メートルを、市が約5600万円で取得する議案が可決。市教育委員会文化課は「旧伊藤伝右衛門邸などとも連携した石炭の歴史を伝える活用策を探っていく」としている。

 市教委の文化財調査報告書などによると、目尾炭坑は1872(明治5)年、筑豊御三家の一人である麻生太吉が開坑。炭鉱を譲渡された技師の杉山徳三郎が81年に、筑豊で初めて蒸気を動力源とした揚水機「スペシャルポンプ」を導入した。

 明治初期までは、採掘で地下水が出ると作業員が桶を使って、手渡しで地上にくみ出したが、坑道が長いと廃坑にしなければならず、地中深く掘ることができなかったという。石炭生産で課題だった排水は、揚水ポンプの登場で劇的に改善。ほかの炭坑も相次ぎ導入し、筑豊で出炭量が増える要因の一つになった。

 96年に古河市兵衛が4坑を買収して目尾炭鉱として統一した後、古河鉱業に引き継がれた。

 史跡指定面積は約1万1800平方メートルで、今回取得した民有地と市有地を合わせて保存活用を図る。跡地には、石炭を燃やして生み出した蒸気を動力とする汽缶場があったことを示す「八角形煙突」や「円形煙突台座」が残る。同課担当者は「スペシャルポンプを使い深く掘削できた立て坑が特定でき、排気のための扇風機を置いた台座も見つかった。『筑豊炭田の近代化のさきがけ』とされる目尾炭坑が史跡指定を受ける上で大きかった」と話した。

 筑豊炭田遺跡群では、目尾炭坑跡のほか、「三井田川鉱業所伊田坑跡」(田川市)、「旧筑豊石炭鉱業組合直方会議所および救護練習所模擬坑道」(直方市)が選ばれている。 (座親伸吾)

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