久留米の中学、校名の由来は? 山の名、消えた地名…あふれる郷土愛

西日本新聞 筑後版 平峰 麻由

 福岡県久留米市には名前の由来が分からない中学が多い。大分市出身で、久留米総局に着任して1年半になる記者の印象だ。例えば「屏水(へいすい)」「良山(りょうざん)」など。大分の中学は地名に「南」や「西」を付けた似たような名前が多かった。久留米市立17中学のうち、命名の理由が分からなかった7校に取材してみた。

 まず屏水中に電話した。「はっきり分からないんですが、ちょっと学校に来てもらえませんか」。木本靖朗教頭に言われて訪ねる。

 屏水中は1961年に屏山中と筑水中を統合してできた。両校の1字を取ったようだ。ここで「『屏』は何を表すの?」と疑問が生じる。「校歌の中にヒントがある」と木本教頭。

 歌詞を見せてもらうと「我等(われら)をはぐくむ屏風(びょうぶ)の山風」とある。校舎の南向きの窓からは、真っ正面に耳納連山が見える。ほぼ同じ高さの峰が東西に連なり、ジグザグした尾根はびょうぶのよう。通称「屏風山」だそうだ。「屏」は、屏風山から取ったのだろう。

 次は良山中を調べた。

 久留米市史によると、1869(明治2)年、久留米藩主の有馬頼咸(よりしげ)が高良山に陣屋「良山御殿」を構えた、とある。

 高良山の「高」を省略した名で、市文化財保護課などは、これ以降「良山」が広まったとみる。比叡山を「叡山」と略すのと同じようなものか。これが高良山の麓の中学名になった。

 高牟礼(たかむれ)中は1992年に明星中から分離して開校。「高牟礼山」も高良山の別称だ。「牟礼」は山を表す。開校直前の本紙記事によると校名は市民から公募。134案から、久留米を象徴し、学校に近い高良山の別名を選んだと伝える。

 以上の3校は、耳納連山、高良山という久留米人の「心のよりどころ」の山が校名の由来だった。

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 他の学校も探った。

 青陵中は学校の文書に由来が載っていた。「青は東の方角、春と希望を意味し、陵は大きい丘を意味する。希望に燃え、一段と伸びていく将来の学校像を求めて」。学校によると、校舎は、高良台という丘陵の東端にあるという。

 四神の一つで東方をつかさどるのは「青竜」だ。風水では東方には青が合うという話も。青を東の意味で使うとはしゃれている。

 筑邦西中は59年に安武中と大善寺中が統合してできた。今回初めて知ったが55~67年には「筑邦町」という自治体があったという。町の西部にあったのか。

 牟田山中は、かつては旧津福今町の小字「牟田山」にあったと分かった。今は消えてしまった地名だ。

 江南中は、市文化財保護課に尋ねると「筑後川の南という意味で江南とつけたのではないか」との見解だった。こちらも久留米のシンボル。筑後川沿いにある同市京町の梅林寺の山号も「江南山」だ。

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 そもそも久留米の中学校名は、どのようにして決められてきたのか。

 久留米市史によると、戦後の47年に新制中学となり市内に第一中から第六中まで6校が設置された。

 49年になって、県教育委員会から県内に校名変更を勧める通知が出た。「数字をもって表した名称が相当使用されているが…所在地の確認又(また)は諸種の事務処理上支障が少(すくな)くなく教育的立場からみても当を得ない」と、数字だけの校名を改めるよう求めている。

 これ以降、久留米市でも地域の特色などを盛り込んだ校名に変更された。

 さて冒頭の屏水中は昨年校舎を新築。新しい多目的ホールは、天井を耳納連山の稜線(りょうせん)のようにギザギザにした。「屏風山は古里の象徴で、生徒にとって大切なもの」と坂井豊校長。校名は郷土愛とアイデンティティーの源になっている。 (平峰麻由)

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