平野啓一郎 「本心」 連載第130回 第七章 転機

西日本新聞 文化面

「この先どうなるかわからないし、少しでも貯(た)めておかないと、病気にもなれないし。」

 「ルームシェア」の方が、当然、生活費を節約できる。ただ、相応のお金は支払った方が、心理的に負担を感じずに済む、と説明した。

 僕はそれに同意した。互いに対等の関係でいるためには、必要なことだった。

 彼女に長くいてほしい、という点では、僕も同じ考えだったが、その根底にある彼女への好感を、僕は適切に方向づけるべきと感じていた。今なら、まだそれは間に合うのだから。――<母>に報告すると、「あら、そうなの?」と、表情もなく、その事実を判断しかねている様子だったので、僕ははっきりと、

「そう。三好さんが一緒にいてくれることになって、僕も喜んでるんだよ。」

 と言葉にした。そうしてようやく、<母>は、

「そう? よかったわねえ。三好さん、お母さんの一番のお友達なのよ。」

 と笑顔を見せた。

 

 三好は、看病の礼に、何か手料理を振る舞いたいと、僕にリクエストを尋ねた。食事は別々のことが多く、僕たちはまだ、一緒に台所に立ったことがなかった。

 お互い様なので、そんな特別なことだと思わないでほしいと言ったが、せっかくなので、しばらく考えて、

「鍋とか、食べたいです。」

 と答えた。

 彼女は大きな笑顔で、

「鍋なんて、料理じゃないよー。野菜切るだけなんだし。」

 と言った。

「でも、あんまり外で一人で食べられないので。」

 僕がそう答えると、彼女は腑(ふ)に落ちたように、ああ、という顔をした。

「そうね。――よし、じゃあ、鍋にしよう! 何鍋にする?」

「何でも。……あ、買い物、僕も行きますんで、その時に考えます。」

「オッケー。なんか、お礼って言う趣旨とは違うけど、ま、いっか。楽しそうだし。」

 彼女はそう言って、微笑を留(とど)めたまま、自分で納得し直すように、二度頷(うなず)いてみせた。

平野氏のメッセージ

私たちの生を、さながら肯定する思想を考え続けています。主人公は、愛する母親を亡くしたあと、仮想現実によって再現された母親と生活することになります。その過程で見えてくる母の本心と、自分の心の変化が主題です。乞うご期待!

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)プロフィール

 1975年、愛知県蒲郡市生まれ、北九州市育ち。東京都在住。京都大在学中の99年、デビュー作「日蝕」で芥川賞。「ある男」(読売文学賞)など。「マチネの終わりに」(渡辺淳一文学賞)は福山雅治さん、石田ゆり子さん共演で映画化された。

マチネの終わりにの公式サイト

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