焦点はそこではない

西日本新聞 オピニオン面

 神奈川県相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で2016年7月、入所者19人が殺害された事件の裁判が、この1月に横浜地裁で始まった。

 公判では元施設職員の植松聖(さとし)被告(29)について弁護側が「大麻精神病で人格が変容しており刑事責任能力はなかった」と主張。検察は「被告には完全責任能力があった」と訴えた。

 双方の法廷戦略から考えれば、この裁判は被告の「責任能力の有無と程度」を争点として展開していくことになりそうだ。

 私は考える。確かに争点は責任能力かもしれない。しかし、裁判の「焦点」はそこではない、と。

   ◇    ◇

 こうした重大事件では、最近では被告を担当する弁護団まで「凶悪犯の人権を無用に擁護する連中」として攻撃する風潮が強まっている。最初に断っておくが、私はそうした風潮には全く同調しない。

 どんな犯罪の被告でも弁護される権利を持つのは近代社会の鉄則だ。弁護団は万人にとって大事なシステムの守り手なのである。むしろ風当たりの強い役回りを買って出る弁護団に敬意を抱いている。

 一時期、司法担当記者をしていたので、こうした「常軌を逸した犯罪」では、まず被告の精神状態を問うのが常道、ということも理解している。

 その上で、なお思う。この裁判で一番重要なのは本当に「責任能力」なのか。

   ◇    ◇

 私が裁判で究明してほしいのは次のようなことだ。

 植松被告は報道関係者などとの面会で、犯行の動機について「障害者に税金を使うのは無駄」という趣旨の発言をしている。面会者への手紙にも、国の借金が1千兆円に上ることを指摘し、「他人に迷惑をかけるなら自殺スイッチを押すべきだ」などと記している。

 この考えは、少子高齢化の中で福祉や医療のコスト削減が必要だとして、「生産性のない」人々を切り捨てようとする一部政治家たちの主張と深層で共鳴しているように見える。

 植松被告は何を手掛かりにこうした考えに飛びついたのか。彼に影響を与えたのはネット言論かテレビのコメントか、実際の政治家の発言か。ならばその発言者は誰か。そこをまず徹底的に解明してほしい。

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 もちろんどんな言論に触れようと、それが全て犯罪につながるわけではない。そこで次に掘り下げてほしいのは、植松被告のどういった個人的経験や資質が奇怪な思想を膨らませたのか、という部分である。

 被告はやまゆり園の職員だった。当初は障害者を「かわいい」と感じていたが、その後「意思疎通のできない障害者は不幸を生み出す」と考えるようになったとされる。園の労働体験が影響したのか、被告自身の成育環境などにも一因があったのか。

 社会的要因と個人的要因を分析し、動機の生成過程を明らかにして、こういう奇怪な犯罪を生まない社会にするために役立てる必要がある。検察と弁護側のある種の共同作業で成し遂げてほしい。そうしなければ、この裁判の社会的意義を放棄することになる。

 判決は3月16日の予定だという。早過ぎないか。「さっさと死刑にすればいい」ではあまりに短絡的だ。 (特別論説委員・永田健)

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