アイドル編<448>天才アレンジャー(下)

西日本新聞 夕刊 田代 俊一郎

 音楽ジャンルの一つとして「AOR」(アダルト・オリエンテッド・ロック)という言葉がある。ロックの騒々しさ、激しさを抑制した大人向けの、都会的なロックという意味合いだ。アレンジャーの大村雅朗と一緒に仕事をしたピアニストの山田秀俊(67)は次のように語った。 

 「大村さんは歌謡曲というより、AORを意識していたんじゃないかな。1980年代に日本流のAORを私たちはつくったという自負はあります」 

 AORは様式美、構成美へのこだわりと言えるかもしれない。まさに、アレンジャーの力量が示せる音楽とも言える。その美の一部にクラシック、ジャズなども取り入れるなど常に新しさを求めた。 

 日本レコード大賞の編曲賞を受賞した松田聖子の「SWEET MEMORIES」(1983年)はその象徴的な作品だ。 

 大村は「日本の音楽は遅れている」と周辺に語っている。一時期、米国に拠点を移したのも新しい音楽を模索するための旅路と同時に日本だけでなく、世界を視野にした戦略でもあっただろう。 

   ×    × 

 「天才アレンジャー」と呼ばれるには水面下の過酷な作業が隠れていることは言うまでもない。大村は時折、福岡市博多区の実家である「大村京染店」に帰省した。仕事を持ち帰ることもあった。兄の大村芳正(78)は次のように語った。

 「うちの子どもが小さいころ、雅朗の部屋に遊びに行ったんですが、まったく気づかない。少したってから『あれ、いたのか』と。それだけ集中していたのでしょう」

 ささやかなエピソードではあるが、大村が20年で残した1600曲の裏側にはこうしたたゆまぬ努力が張り付いていた。 

 1997年、大村は46歳で、戦場ともいえるスタジオで倒れた。「映画音楽をやりたい」という夢も途絶えた。

 大村の突然の死から23年の歳月が流れた。歌手や作曲家の名前は残る。アレンジャーの名前が記憶されることはほとんどない。それでも芳正が「墓前に時々、花が添えられていることがあります」と語るように、80年代歌謡を創造した天才アレンジャーをしのぶ人たちがいる。 =敬称略

  (田代俊一郎)

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