平野啓一郎 「本心」 連載第135回 第七章 転機

西日本新聞 文化面

 けれども、日常の維持という、もっと大きな、抽象的な目的が、彼女たちに命じている、と言えなくもなかった。社会そのもののリアル・アバターのように。--その証拠に、それに従うことが出来ない時に、彼女たちに低評価を下すのは社会なのだった。

 僕は、老舗の高級果物店で、宝飾品のように並べられているメロンを見つけると、先ほどと同様に品定めをして二個を選んだ。依頼者も、今度は納得したので、店員を呼んで購入する旨を伝え、桐(きり)の箱に入れて、のし紙をつけてもらった。ベテランらしい初老の女性で、手際がよく、包装紙に折り目をつける度に、長短、縦横斜めと様々に現出する直線が爽快だった。

 二個で三万五千円という値段で、僕は依頼者に支払いの確認をした。

 ところが、彼はまた、唐突にこう言った。

「やっぱ、ここで買うの止(や)めた。違う店にするから、それ、断って。」

「……え?」

「聞こえてる?」

「……ハイ。何か、問題ありました?」

「なんか、店員の“気”が悪いな。俺、そういうの敏感だから。見舞いのメロンなんだし、ヘンなの持って行けないだろ。」

 僕はようやく、ひょっとすると、揶揄(からか)われているのではないかと感じた。その最後の言葉の途中で、微(かす)かに笑いを堪(こら)えきれないような息が漏れた音を聞いたからだった。

 しかし、利用規約違反で依頼を中断できるほど、明らかな問題ではなく、この段階でそれを申し出れば、依頼者は僕に最低の評価を下して会社にクレームを入れるだろう。そうなれば、僕は契約を解除される懸念さえあった。

 店員に、

「すみません、ちょっと不都合があって、やっぱり結構です。」

 と言うと、

「えっ?」

 と驚いた顔になり、次いで怪訝(けげん)そうに、

「購入されないんですか?」

 と確認した。

「はい、……すみません。」

 店員は、僕のゴーグルをまじまじと見て、リアル・アバターであることをようやく察した。

平野氏のメッセージ

私たちの生を、さながら肯定する思想を考え続けています。主人公は、愛する母親を亡くしたあと、仮想現実によって再現された母親と生活することになります。その過程で見えてくる母の本心と、自分の心の変化が主題です。乞うご期待!

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)プロフィール

 1975年、愛知県蒲郡市生まれ、北九州市育ち。東京都在住。京都大在学中の99年、デビュー作「日蝕」で芥川賞。「ある男」(読売文学賞)など。「マチネの終わりに」(渡辺淳一文学賞)は福山雅治さん、石田ゆり子さん共演で映画化された。

マチネの終わりにの公式サイト

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