「勉強したい」重い脳性まひ、熱意で開けた高校進学の道

西日本新聞 三宅 大介

連載:バリアフリーの現在地(4)

 2014年に国連の「障害者権利条約」に批准して以降、国も推進が求められる障害がある人とない人が「ともに学ぶ」インクルーシブ教育。しかし重度者の場合、特に高校、大学への進学は簡単ではない。どうすれば道は開けるのか。ある男子学生の実例から、そのヒントを探る。

 大柄な体は、電動車いすからはみ出すかのよう。目が合うと、たちまち人懐っこい笑顔。「おはようございます」。野太い声であいさつが返ってきた。熊本学園大(熊本市)1年の中山智博さん(19)=福岡県筑後市。重い脳性まひで生まれ食事やトイレなど全介助が必要だが、毎日、自宅から新幹線で通学している。朝夕、JR筑後船小屋駅まで車で送迎する母の順子(のぶこ)さん(54)は「とにかく周りの人の支えに恵まれました」としみじみ語る。

●人権教育を背景に

 智博さんは07年、同市立古川小に入学した。特別支援学級は当時どこにでもある状況ではなかったものの「暮らしている地域で過ごしてほしかった」と順子さん。智博さんも入学前に見学した特別支援学校は「ワンワン泣いて」嫌がった。

 地元の小中にはインクルーシブ教育に理解の深い教員たちがいた。その一人で、特別支援教育コーディネーターとして地域ぐるみの支援にかかわってきた同県立筑後特別支援学校教員の秋山辰郎さん(55)は「地域的に人権教育が盛んで、学校長も含めて『ともに』という空気があった」。

 入学して肢体が不自由な子ども向けの支援学級ができ、教員たちは読み書きや機能訓練、介助まで工夫し合って日替わりで対応。ちょうど市内で学校へのエレベーターの整備時期が重なり、古川小が選ばれた。

 「どんな人の輪にも、体当たりで飛び込んでいく」(順子さん)智博さんは、地元の筑後中でも同様に過ごし、普通高校への進学を志す。しかし義務教育ではなく、支援学級もない高校のハードルは高かった。

●法律施行が後押し

 中3だった15年、高校見学に行った智博さんは、過去に軽度の脳性まひの生徒が卒業していた県立福島高(八女市)を志望校に絞る。エレベーターがあった私立高校も検討したが、同校は「介助に携わる支援員を雇えない」と受け入れを渋った。

 しかし福島高も斜面に校舎が立ち、当時は階段だらけ。県教育委員会側も一時、難色を示したという。

 「どうしたいのか、はっきり伝えることが大事」-。秋山さんらにハッパを掛けられた智博さんは同夏、公立高校の説明会で、福島高のブースにパソコンで1文字ずつ打った手紙を持参した。「みんなと同じように普通高校に入学したいし、勉強したい。頑張りますから、お願いします!」。緊張で体中に力が入り、汗をダラダラ流しながらその場で読み上げた。

 「今、こんなに勉強したいという若者はそういない、と学校側も真顔になった」(秋山さん)

 一方、障害者差別解消法の施行が翌16年に迫っていた。本人から意思表示があれば、公立学校は合理的な配慮が義務付けられる。

 筑後中と協議を重ねた福島高は、同校教員による代筆受験を認めた。教員2人が事前に何度も同中を訪れ、智博さんと面会。入試時に回答を忠実に書き写すため、中学の教科書を全教科、持ち帰って準備した。

 秋山さんは「もちろん本人の熱意が一番大きいが、学校側の可能な限りの配慮は、法律が後押しした側面もある」と振り返る。

●意思決定の支援も

 智博さんは見事合格し、同校は特別支援教育の支援員を配置。多目的トイレも増やし、翌年はエレベーターもできた。定期考査では時間を1・3倍取るなど、硬軟両面で配慮を重ねた。

 課外授業は支援員の勤務時間外となるため、平日は毎朝付き添うなど負担も小さくなかった順子さんだが「智博と先生との関係も徐々に深まった」と感謝した上で「目に見えにくい発達障害などの子どもたちへの配慮も広がれば」と願う。

 秋山さんは「気持ちをきちんと伝えるのが困難な生徒もいる」と指摘。「配慮の前に、学校側が本人たちの要望をくみ取るための積極的な『意思決定支援』も欠かせない」と訴えている。

 そして熊本学園大に進んだ智博さん。大学生活では別の「障壁」も見えてきた。 (編集委員・三宅大介)

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 【ワードBOX】教育現場での合理的配慮

 障害者権利条約は締結国にインクルーシブ教育を実現するよう定め、そのために合理的配慮の提供を求めている。「能力を可能な最大限度まで発達させる」ことなどが目的。障害者差別解消法では国公立学校は法的義務である一方、私立学校は努力義務とされる。筆記が難しい場合は支援員がパソコンなどで入力支援する▽入試で別室受験や時間延長を認める-など。

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