中村哲さん特別サイト「一隅を照らす」を開設 本紙記者が込めた思い

西日本新聞 中原 興平

 「アフガニスタンで中村哲さんが撃たれた」。昨年12月4日。取材先で受けた社会部デスクからの電話に、息をのんだ。5年前のちょうど同じ時期に訪ねた現地の光景が目に浮かんだ。

 戦火と干ばつで荒廃するアフガンで用水路建設に取り組んできた中村医師。戦後70年の節目を控えた2014年、2週間にわたり現地を取材した。年次企画「安全保障を考える」の一環として、中村さんの活動を通して安全保障や国際貢献、平和の在り方を見定めたいとの考えだった。

 渡航準備中、手当たり次第に読んだ中村さんの文章にこうあった。「現場人間として申します。国連やマスコミなどの学歴の高い人は危険な現地に行かない。だが、われわれは実地で判断します」。新聞記者なら言葉をこねくり回す前に、現場を見に来んですか、と言われているようにも思った。

■砂漠を緑に変えた用水路

 乾燥した空気と、真っ青に晴れた空が印象的だったアフガン東部ジャララバード近郊。作業現場に向かう車窓から、小麦やかんきつ類の畑、高々と伸びた木々が見えた。軒を連ねる商店の前を、大勢の子どもたちが元気よく登校していた。

 周辺がかつて、村ごと移転するほど荒廃していたと聞かされても、信じられなかった。目に入る光景のすべてが、中村さんと現地スタッフによる事業の成果だった。

 砂漠だった一帯も農場となり、青々と作物が実っていた。現地語はもちろん、英語もろくに分からない私に、現地のスタッフが興奮気味に説明してくれた。

 聞き取れたのは「ドクター・サーブ・ナカムラ(中村先生様)」と、至る所を指さしながら繰り返された「マルワリード」という言葉。「真珠」を意味し、中村さんらが近くに造った用水路の名前だ。通訳される前に、意味を確信した。「ここで作物が取れているのは、中村先生が造ってくれたマルワリード用水路のおかげなんだ。俺たちも信じられないんだよ!」

 落花生を収穫していた数人の男性たちへのインタビューも許された。「かつて兵士だった人はいますか」と聞くと、おずおずと全員が手を上げた。1979年に侵攻してきた旧ソ連相手に戦った経験があると話した男性は「畑で食えるから、銃を持たなくていい」と笑った。

 ヒロシマとナガサキの悲劇を乗り越え、平和主義を掲げて経済大国に成長した日本。アフガン人はそれをよく知っていた。中村さんの事業を資金面で支えてきたのは、全国から寄せられた浄財だ。日本への感謝の言葉は、渡航中に何度も何度も聞いた。

■戦争以上の力を持つ平和

 「撃たれたが、命に別状はない」との情報は夕方、訃報に変わった。どれほど安全確保に心を砕いても、住民から信頼されていても、不測の事態が起こりうる国。だからこそ、中村さんは活動を続けてきた。「誰も行かないところに行く。誰もやりたがらないことをやる」を信条として「危ないからと言って、やりかかった事業を途中でやめれば日本男児がすたる」と住民のそばを離れなかった。

 「平和には戦争以上の力がある。そして、平和には戦争以上の忍耐と努力が必要である」。中村さんは繰り返してきた言葉の正しさを、自らの行動で証明してきた。その意味を今、改めてかみしめている。

 1月25日に福岡市内で開かれるお別れの会に合わせ、西日本新聞は中村さんの足跡を残し、志を受け継ぐ特別サイト「一隅を照らす」を開設した。私たちは新聞社としてできる限りのことをしていくつもりだ。(中原興平)

なかはら・こうへい▼2002年入社。社会部、北九州本社などを経て、2018年から現職

●中村哲医師特別サイト「一隅を照らす」は、こちら

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