第52回西日本文化大賞贈呈式、中村哲氏ら4氏に

西日本新聞

 西日本地域の学術と社会の両部門で著しい業績を上げ、地域の文化の発展・向上に尽くした人や団体に西日本新聞社が贈る第52回西日本文化賞の贈呈式が「文化の日」の3日、福岡市中央区天神の西日本新聞会館16階、福岡国際ホールで行われた。

 今回の受賞者は学術文化部門が「雲仙・普賢岳の噴火災害に際し、研究成果を基に住民の安全確保、防災対策に尽力した功績」として九州大学教授で同大学付属島原地震火山観測所長の太田一也氏(58)=長崎県島原市弁天町=と「地域に根ざした海事史研究を行い、地域文化の掘り起こしに貢献した功績」として日本海事史研究家の高田茂廣氏(65)=福岡市西区能古=の両氏。

 また社会文化部門は「中国古来の天目釉を追求して、陶芸の世界に新境地を開き、陶芸界に貢献した功績」として陶芸家の青木龍山氏(67)=本名・青木久重、佐賀県西松浦郡有田町中部丙=と「パキスタン、アフガニスタンでのハンセン病治療、難民医療活動に従事してきた功績」として医師で日本―アフガン医療サービス顧問医師の中村哲氏(47)=福岡県大牟田市三池=の両氏。

 海外での活動だけを評価しての西日本文化賞は中村氏が初めて。

 贈呈式には4人の受賞者がそれぞれ夫人とともに出席した。青木秀・西日本新聞社社長のあいさつの後、賞状と賞金(各百万円)、記念品が手渡された。

 受賞者を代表して青木龍山氏が「どの道もそれぞれ謙虚にして、自分との闘いがある。受賞の喜びを基に、さらに自分の道に精進したい」と謝辞を述べた。

 ▼青木秀・西日本新聞社社長のあいさつ 半世紀を超える西日本文化賞の歴史に、皆さんが新たな一ページを記された。たゆまぬ精進を続けられ、地域と時代の要請にこたえられてきたことに対し、心から敬意を表します。


■受賞者の業績横顔=中村哲氏(社会文化部門)

●パキスタン・アフガニスタンにおけるハンセン病治療、難民医療に従事する中村哲氏(47)=(日本―アフガン医療サービス顧問医師)

 今、アフガニスタン山岳地帯で、悪性のマラリアが流行の兆しを見せているという。高熱、悪寒に震え、ひ臓のはれた患者が山奥の診療所に続々とやってくる。その数、一日に3百人。

 「放置すれば、子供を中心に5百人から千人近い死者が出かねない」

 受賞の知らせは、総力を挙げてマラリア制圧のための診療、投薬活動に奔走する中で届いた。

 中村さんが勤務医の職をなげうってパキスタンの古都ペシャワールに渡り、ハンセン病の根絶活動と難民治療に乗り出して、今年で10年になる。医療器具もなければ、間断ない戦争から患者も外国人不信に陥り、そして貧困…集中する困難の中でのスタートだった。

 だが、難民キャンプへ出向いての診療や予防接種、母子衛生教室の開催と、地をはう努力で、今は地元の人々から「ドクター・サーブ」と最大級の敬称で慕われるほどに。

 それにつれて診療拠点も拡大し、86年にはアフガン人医師と共同でペシャワールに病院「日本―アフガン医療サービス」を開設、その後も、隣接するアフガニスタン山岳無医地区に三つの診療所を設置し、前年度の診療患者数(無料)は11万人に達している。この間「住民自立」のため育てた現地人医療スタッフの数も95人に上る。

「アジアの同胞として同じ目の高さの協力」がモットーである。

 「住民はわれわれの情熱のはけ口でも、慈善の対象でもない」と言い、その活動は「一過性、援助国の論理押し付け」に走る先進国の医療援助とは一線を画する。そんな姿勢に共鳴してか、中村さんの活動を日本国内から物心両面で支援する「ペシャワール会」の会員もすでに2千5百人に達した。

 中村さんは、いまだに15年前、登山隊の医師として初めてパキスタンを訪れた時のことを忘れない。

 「登山隊に、薬や診療を求めて、貧しい病人たちが追いすがってくる。薬品は隊員のためにも取っておかねばならない。見捨てざるを得なかった」

 「ここが好きだし、ここで暮らすことで、自分や日本がよく見えてくる気がする」。受賞をきっかけに、現地で働いてくれる日本人スタッフが増えてくれることを何よりも願う。

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 なかむら・てつ 1946年9月、福岡県古賀町生まれ。73年九州大医学部卒。大牟田労災病院などを経て、84年、ペシャワール・ミッション病院に赴任。86年、日本―アフガン医療サービス設立。88年、外務省外務大臣表彰。ほぼ半年をペシャワールで暮らし、半年は大牟田市三池の自宅に。福岡県広川町の馬場病院副院長兼務。

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