国際化とは 援助とは? アフガン難民の実態を見て 中村哲氏講演から 人間置き去りの大国援助 〝豪華客船〟でさまよう日本人

西日本新聞 文化面

<この記事は1988年7月15日付夕刊に掲載されたものです>


 パキスタンのペシャワールを中心に、ハンセン病などの治療活動を1984年から続けている福岡市出身の医師、中村哲さん(41)が、夏期休暇で帰国し、福岡市内で活動報告を行った。中村さんは、アフガン内戦で流入した難民医療にも携わっており、その現場体験から難民の実態や援助のあり方、国際化の意味などを約1時間にわたって講演、その中心テーマとなった「アフガン難民問題と日本の国際化」についての講演要旨をまとめてみた。

 私の主な仕事はパキスタン北西辺境州のハンセン病コントロール計画の支援にある。しかし、1979年のソ連軍のアフガニスタン介入以来、250万人を超えるアフガン難民が流入、否応なく難民を対象にした医療活動をも展開せざるを得なかった。やっと、ことし4月15日にジュネーブ交渉の妥結により、曲がりなりにも難民問題に明るい見通しができ、5月15日よりソ連軍の撤退が始まった。アフガン問題は、新聞紙面をにぎわし、この問題の論評が活発に行われている。だが、報道のあり方、日本国民の難民問題に対する対応のあり方、折りから叫ばれる「国際化」などについてみていると、現地にかかわりを持ち続けてきた私には、何か隔靴掻痒(かっかそうよう)の感を免れない。

非現実的なプラン

 元来、北西辺境州とアフガニスタンは、言語、民族ともに一体である。アフガニスタンと北西辺境州の多民族であるパシュトゥン族は総勢1500万人と推定されるが、ちょうど半分ずつが国境線に分断されて住んでいる。当然、往来は自由である。特に「部族自治区」として国境地帯に残された部分は、パキスタン政府も慣習法による自治にまかせ、住民の「越境権」を認めて、よほどのことがない限り干渉しない。こうして容易に「難民」の流入する下地ができあがっていたのである。当然パシュトゥン族の南側の都、パキスタンのペシャワールは難民流入とともに、アフガニスタンの内戦指導の根拠地になってきた。

 私が極めて不審に思うのは、ソ連軍の撤退ーアフガン難民の帰還という図式が直ちに描かれたことである。事情を知らぬ者が言うならまだしも、10年以上も腰をすえて「難民の世話」をしてきたUNHCR(国連難民高等弁務官)が、現地の人々が笑うような非現実的なプランを出し、各国政府の支援体制がそれに振り回された。援助額1、2位を争う日本も例外ではない。

「対岸の火事」

 たとえば、難民が直ちにふるさとの農村に帰れるような状況ではない。それたの農村はただでさえ、荒涼たる谷あいにある上に、所によっては数メートルおきにロケットやミサイルの砲弾が突き刺さり、埋設された地雷は数知れない。全滅して村そのものが廃墟と化しているところもある。また、各国政府の難民援助金も、末端の難民まで、行き渡っていないのが現状のようだ。

 これらのことについて、関係者の言い分はあろうが、尽きるところは、国連を含めて諸外国にとって、アフガン難民問題は「対岸の火事」であったということ。極言すれば、肝心の難民よりも、それぞれの事業、ビジネスや、援助団体のアイデンティティーの方が重要だったといえよう。ジャーナリストの取材もごく一部を除けばそうであった。耳目を集めるニュースの商品性のみが追求され、従軍戦記ものばかりが出回った。その陰に隠れた多くの人々の苦悩に関心が寄せられたとは思えない。

 肝心の「人間」が置き去りにされた援助によって、アフガニスタンはまるで、大国のおもちゃのようになり、ずたずたに引き裂かれたと言えよう。すべてとは言わないが、多くの欧米のボランタリー団体の行状は、自己宣伝に忙しく、時には露骨な政治的意図を持っていた。援助の美名の下に行われたこれらの偽善的行為を、私はアフガンやパキスタンの同胞とともに忘れないだろう。

 日本の対応は、金を出すことだけであった。金を出すことが決して悪いことではない。だが、その金がいかに使われたかを知るべきであった。日本にとっては小遣い程度の金であっても、額によっては一国の命運を左右し得るのだ。

成熟した意識持たぬ

 この5年間ほどで、日本は確かに変わった。「国際化」が声高に叫ばれるようになった。つい最近まで、われわれが政府に対して突きつけていた民間援助と国際交流の重視を、逆に突きつけ返される状況である。しかし残念ながら、官民ともにまだ成熟した「国際的な意識」を持っているとはいえないと思う。これは、ペシャワールのような片田舎から時々帰って驚く浦島太郎の感想であるが、アフガン難民の状況を通してみる限り、豪華客船の日本丸は、内部が華美になるばかりで、行きつく先もなく、さまよっているように見える。

 批判を覚悟で言えば、日本が抱く大抵の悩みは全地球的規模からすればぜいたくな悩みである。日本は金をもてあまして、ふらふらしているのに、日本列島の住民は、相変わらずゆとりなく、密室の客船の中でガサガサしたり、逆に虚無的になったりしている。危機的テーマであるはずの「国際化」も、ビジネスやお祭りに転化していく。お祭りが悪いとは言わぬ。楽しい国際交流が悪いとは言わぬ。私が叫びたいのは、「国際化」もまた、自国向けのショーで終わるという危険な傾向があることである。

 乱痴気騒ぎ的集団から最も厳格な思想集団に至るまで、相手のことを二の次にして、自分の方が大切だという点で一致している。堅苦しいことは言いたくないが、他人様を助けることは何かを捨てることである。与えるとは自分の何かを失うことである。援助の原理は極めて簡明なことだ。相手のために徹底的に尽くすことである。これからの踏まえた援助や国際化を私は望む。

1988年7月15日付夕刊の記事

 

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