救え アジアの同胞 パキスタンで救援医療 中村哲医師 「風土病」と闘う

西日本新聞

<この記事は1985年1月3日付朝刊に掲載されたものです>

 ”医療辺境”ともいえるパキスタン北西部のペシャワールでいま、日本の若い医師が住民の診療活動に汗を流している。福岡県粕屋郡古賀町出身の中村哲医師(38)。「同じアジアの同胞。苦しみも喜びも分かち合い、ともに生きていきたい」。決意してからの準備期間は6年間。これから10年間は日本から遠く離れた辺境の人々のために身を捧げる覚悟だ。(宇野和夫記者)

 中村記者が救援医療を決心したのは1978年。福岡登高会(福岡市・新貝勲会長)のティリミチール遠征に隊医として参加した。パキスタン政府観光省から依頼された登山基地・ペシャワール周辺での住民診療に行って、その実態に息をのんだ。延々と続く無医地区。貧しさから栄養障害を招き、結核やハンセン病の慢性疾患に苦しむ患者は数知れなかった。

 「その時、私はビタミン剤をやるぐらいしかできなかった。子供だましのような処置に、身を切られるようなやるせなさがこみ上げてきた」。クリスチャンでもある中村医師の心は痛んだ。後ろ髪を引かれる思いで村々を振り返っては、白く神々しく輝くティリチミールにひそかな近いを立てた。「私は必ずここに戻ってきます。再びあなたにあいます。

 それから4年。日本キリスト教海外医療協力会がペシャワールからの要請で日本人医師の派遣を検討していることを知った。中村医師は「神のおぼしめし」と、二つ返事で派遣医を申し出た。

 現地の下見やロンドンでの語学・熱帯医療研修を終えた昨年5月、中村医師は正式にペシャワールのミッション病院に大歓迎されて着任した。ハンセン病治療と無医地区の移動診療を担当、さっそく待望の診療活動に入った。

 その中で痛感させられているのが、住民の衛生観念の低さや資金不足、スタッフ不足。ハンセン病患者の多さにも驚く。登録患者だけで全全国では2万数千人。実数はその数倍にもなっている。しかし、薬が少ないこともあって治療が追いつかない。

 昨年暮れ、中村医師は一時帰国した。大牟田市に残していた尚子夫人(31)、長女秋子ちゃん(4)、長男健ちゃん(1)をペシャワールに迎えるとともに、今年4月ごろから本格化する移動診療の体制を整えるためだ。薬、検査器具、移動用のジープなどの調達もしなければならない。家族水入らずの正月もつかの間。1月中旬には一家そろってペシャワールに戻る。

 「日の当たらぬ辺境の人々のため、ハンセン病患者根絶のため全力を尽くしたい」と言いながら、国際青年年に当たって「若い人たちが同じアジアで苦しむ人々の存在を知り、同胞愛に目覚め、あり余るエネルギーを生産的に生かしてくれれば…」と切実に祈っている。

1985年01月03日付朝刊の記事





 

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