【動画あり】遺族「生きざま刻み前へ」 中村哲さんお別れ会 福岡市

西日本新聞 中原 興平

 戦乱と干ばつに苦しむアフガニスタンで用水路建設に取り組み、昨年12月に現地で凶弾に倒れた中村哲医師=享年(73)=のお別れ会が25日、福岡市の西南学院大で開かれた。中村さんが現地代表を務めた同市の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」によると、全国から約5千人が参列。危険な異郷で人道支援に徹した中村さんをしのび、その生涯に向き合った。

中村哲さんのお別れ会の会場にできた長蛇の列

 主会場となったチャペルには、中村さんだけでなく共に犠牲となった運転手と護衛4人の写真が、花に囲まれるようにして飾られた。黙とう後、村上優会長(70)や駐日アフガニスタン大使、遺族らがあいさつ。中村さんの長男健さん(36)は「今でも麦わら帽子をかぶった父が、自宅の窓の外を通り過ぎる姿が幻を見るように思い出される」などと明かし、「父の言葉、生きざまを心に刻み、一歩一歩前に進んでいきたい」と決意を込めた。

 長女秋子さん(39)は事件後、中村さんを迎えにアフガンを訪れたことを振り返った。「1週間前まで普通に会話していたのに」とぼんやり思いながら、「お疲れさまでした」と一礼するのが精いっぱいだった亡き父との対面。自らひつぎを担いだ大統領や必死に言葉を紡ぐ地元の長老の姿から感じたのは、アフガンの苦境と事業の重さだったという。「私もこれからは少しでもお役に立てれば。それが父の弔いになると思う」と述べた。

 「平和とは理念ではなく現実の力」「私たちが己の分限を知り、誠実である限り、天の恵みと人のまごころは信頼に足る」。中村さんの著書の一部が朗読された後、三女幸さん(27)らのピアノが響く中でアフガン人の好きなバラが献花された。

 この日はお別れ会に先立ち、臨時総会も開催。事業継続の方針が改めて会員に説明された。村上会長は「予想を超えた圧倒的な数の参列者に感謝したい。これほどの支援を受けていたのか、と勇気づけられた」と話した。

 中村さんは福岡市出身。1984年にパキスタンの病院に赴任し、その後に隣国アフガンにも活動を拡大。2000年にアフガンで起きた大干ばつを受けてかんがい事業を始め、建設した用水路は福岡市の面積の約半分に当たる約1万6500ヘクタールを潤している。昨年12月4日、現地で武装した集団に襲われて亡くなった。 (中原興平)

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