サザエさんに託した「いとおしい日々」 思い受け継ぎ町づくり

西日本新聞 九州+ 下村 佳史

連載:「サザエさんの町」物語(1)

 「思い出が埋められていくようで、寂しい」-。漫画「サザエさん」の作者、長谷川町子さん(1920~92)は晩年、福岡市早良区西新にあった百貨店、旧西新岩田屋の屋上で、こうつぶやいた。視線の先には、市街地の向こうで埋め立て工事が進む百道海岸があった。

 89年に開かれたアジア太平洋博覧会「よかトピア」の会場にもなったシーサイドももち地区を整備するため、かつて松林が広がり海水浴客でにぎわった浜辺が消えてしまおうとしていたのだ。

 長谷川さんは44年、一家で西新に疎開。百道海岸近くの家で母親と姉、妹と暮らした。サザエさんの連載は終戦翌年の46年、福岡の地方紙「夕刊フクニチ」で始まった。サザエさん、カツオくん、ワカメちゃん…。海産物の名前が付いた登場人物は、この浜辺を散歩しながら思い浮かべたことを、漫画の自叙伝で明かしている。

 「屋上から見ていると、西新で暮らした日々がいとおしくなって」。長谷川町子美術館(東京)の川口淳二館長(74)は、長谷川さんからこんな話を聞いたことがある。戦中戦後の3年近くを過ごした西新は、長谷川さんにとって思い入れのある地だった。

 国民的な人気があるサザエさん。その「古里」として、西新地区一帯をアピールしようと動きだした福岡商工会議所の職員がいた。2003年、西新にあった西部支所に赴任した三角薫さん(61)だ。

 「サザエさんの古里を広めるプロジェクトを立ち上げ、町を活気づけたいんです」。三角さんは赴任のあいさつで早速、商店街や地元の人たちに、こう持ちかけた。というのも、西新地区の商店街は当時、大きな危機感に駆られていた。副都心の顔として買い物客を呼び寄せていた西新岩田屋が閉店。市営地下鉄七隈線の開通が2年後に迫り、それまでバスで西新に買い物にきていた周辺地域の住民が、地下鉄一本でつながる天神へと引き寄せられようとしていた。

 さらに、長谷川さんの思い出が詰まった浜辺は住宅地などに姿を変え、都市化が進むとともに、新たな住民が増加。三角さんは、西新とその周辺地域に愛着を持ってもらうにはどうすればいいか、思いを巡らせた。サザエさんは新たなまちづくりのシンボルになる-。

 「町子先生がサザエさんを生みだした足跡を西新にしっかりと残していこう」。だが、三角さんが動きだしたばかりのころ、解決しなければならない大きな課題があった。

 サザエさんの著作権を侵害するグッズが出回るなどしたため、長谷川町子美術館はキャラクター使用について厳格に対応していた。「まずは、信頼関係を築かないといけない」。三角さんの熱い思いから始まったプロジェクトは、やがて地域を挙げての動きになっていく。

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 長谷川町子さんの生誕100年を30日に迎えるのに合わせ、サザエさんが生まれた町やサザエさんを生かしたまちづくりに取り組む人々の物語をつづる。 (下村佳史が担当します)

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