元百貨店マンの恩返し うどん家 久兵衛 【食堂物語】

西日本新聞 北九州版

 福岡県の北九州・京築・遠賀地区にある多様な食堂を記者たちが巡り、さまざまな料理や人に出会いました。受け継がれた味や思いなどでつづる連載「食堂物語」をお召し上がりください。

 透明感のある細めの麺は、もちもちとした食感が特徴だ。1日半から2日寝かせ、細心の注意を払って熟成させた。羅臼昆布とかつお節をふんだんに使っただしと絡み合う。

 北九州市小倉北区黄金1丁目の「うどん家 久兵衛」は、黄金市場の「入り口」にあり、午前11時の開店から麺がなくなるまでひっきりなしに客が訪れる。
 「いらっしゃいませ」。ひときわ大きな声でお客さんを迎えるのは13年前に店をオープンした林和久さん(57)だ。

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 元々は大手百貨店の社員。小倉そごうで紳士服売り場の係長だった2000年、そごうグループが民事再生法の適用を申請した。右肩上がりの経済成長を信じ、仕事に打ち込んできた林さんは言葉を失った。

 入社以来15年間、アパレル一筋で、係長時代には数十億円の買い付けをしていた「百貨店マン」だった。同じ業界で再就職先を探したが、かつて笑顔で対応された取引先からは、けんもほろろに追い返され、仕事は見つからない。元同僚が自ら命を絶ったと知らされた時にはぼうぜん自失となった。

 そんな時、小倉南区のうどん店「津田屋官兵衛」で家族と食事をしていると、突然「うどん店をやりたい」と思い、その場で店主の横山和弘さんに弟子入りを申し出た。最初は断られたが、頼み込んで承諾してもらった。1年間、店に通い詰めてうどん作りの基礎から学んだ。

 01年に現在の場所に開業したうどん店の「雇われ店長」として再出発し、07年には店を買い取って「久兵衛」をオープンした。

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 当時、黄金市場はにぎわっていた。「商店街のお客さんが食べに来てくれたから店は繁盛した」と振り返る。金融機関から「福岡市・天神に店を出さないか」「小倉の魚町銀天街はどうか」と声を掛けられたが、全部断った。無謀な拡大路線が裏目に出たそごうの轍(てつ)は踏みたくなかった。

 ただ商店街の買い物客は日に日に減り、空き店舗が目立ってきた。「育ててもらった恩返しをしなければ」。街の活性化のためにも黄金市場に限って新店舗を出店しようと決意した。

 百貨店時代から顧客の声に耳を傾けてきた。無理難題とも思える要望に応じることで信頼を勝ち取ってきた自負もある。その強みを生かそうと、アルバイトだった三原祐二さん(36)に店長と麺打ちを任せ、一日中ホール係として接客し、苦情や要望を聞いた。

 地域のお年寄たちは「揚げ物は食べたいが、うちでやるのは面倒だ」と言った。うどんは食べず、天ぷらを食べて帰る客もいた。そこで11年、商店街の空き店舗に「天ぷら 八兵衛」をオープンした。八兵衛でホール係をしていると、常連客から「サバの塩焼きはないのか」「鶏の唐揚げが食べたい」と言われ、翌年、向かいの空き店舗に定食屋「こがね食堂 七兵衛」を開店した。拡大主義を戒める意味合いから、新規出店の際には9(久)、8、7と数を減らすことにした。

 姉妹店3店舗で働いているのはみんな地元の人たち。小麦粉や昆布、かつお節以外の食材の大半は商店街の八百屋や精肉店などで仕入れる。店に食材のストックはあまり置かず、なくなれば商店に買いに走る。「野菜も肉も新鮮で味がいい。お客さんに喜んでもらえる」

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 16年には資本金10万円で株式会社「こがねビレッジ」を設立し、久兵衛の向いの空き店舗に「こがねカレー」をオープン。空き店舗なら、わずかな資金で飲食店や商店を始めることができる。そんなモデルケースを示し、商店街に店を開く人を増やしたかった。

 文豪が愛した老舗洋食店の元経営者が久兵衛の常連客で、カレーのレシピを受け継がせてもらえることになった。手間暇を掛けて作るカレーは若い店長1人では1日約30食分をつくるのが限度だが、売り切れる日が少なくない。経営も軌道に乗ってきた。

 「いずれは商店街に『六兵衛』『五兵衛』も作りたいね」と笑顔で話す。経営の傍ら09年に北九州市立大地域創生学群に社会人入学し、地域づくりなどを学んできた。「これ以上、商店街が衰退すれば取り返しが付かない」という危機感は強く、活性化策に思いを巡らせる日々だ。

▼うどん家 久兵衛 「津田屋官兵衛」で修業した弟子たちがつくる「豊前裏打会」の加盟店で、「讃岐」でも「博多」でもない、「我流」のうどんを提供する。営業は午前11時~午後8時半で、麺がなくなれば閉店。店休日は正月のみで、新年は4日から営業。小倉北区黄金1丁目2―1。093(923)8088。

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