福岡・西新は「特別な場所」 長谷川町子さんに熱意届く

西日本新聞 九州+

連載:「サザエさんの町」物語(2)

 長谷川町子さんが漫画「サザエさん」を誕生させた足跡を残したい-。福岡市早良区西新の福岡商工会議所西部支所長だった三角薫さん(61)は2003年、取っかかりとして、著作権を持つ長谷川町子美術館(東京)を訪ねた。サザエさんを生かしたまちづくりの機運を高める活動を、西新で始めたことを伝えるためだった。

 美術館には、当時事務局長だった川口淳二館長(74)が居合わせた。あいさつを済ませ、思い切ってこう切り出した。

 「町子先生とゆかりがある町を一緒にもり立ててもらえませんか。地元の商店街とも『みんなで、サザエさんの町にしよう』と話しています」。すぐに賛同が得られる申し出ではないことは分かっていた。

 夕刊フクニチで1946年に始まったサザエさんの連載は、朝日新聞で74年に終了するまで6500回以上に及んだ。その間、長谷川さんはしばしば胃痛などを患い、胃の大半を摘出する手術も受けたが、アイデアを振り絞りながら4コマ漫画を描き続けた。こうして生み出された作品だからこそ、美術館はさまざまな企業や地域から持ち込まれるキャラクター使用の申し出には慎重を期した。

 ただ、西新地区一帯は長谷川さんにとって「特別な場所」だった。

 長谷川さんは福岡市で2度暮らした。最初は春吉小学校から福岡高等女学校(現福岡中央高)に進んだ10代前半まで。その後、東京に転居したが、20代半ばで西新に疎開し3年近く生活した。散策に出かけた百道(ももち)海岸でサザエさんを発案した。この地に生涯、愛着を抱いていたことを示すかのように、長谷川さんはサザエさん連載終了後、西新地区に通いやすい場所にマンションを買った。

 「大事な場所に足跡を残すのは不自然なことではないですね」。別れ際、川口さんからこう言葉をかけられ、三角さんは確信した。「必ずかなうときが来る。思いを訴え続けよう」。東京出張の折など年数回、事務所を訪れた。

 それから3年後の06年11月、機が熟した。商工会議所や区役所、地元企業などで組織する西部副都心活性化事業推進委員会が「サザエさん発案の地」の記念碑を設ける方向で動き始めたのだ。事務局を担当していた三角さんらメンバーが上京し川口さんと面会した。

 「『サザエさんの古里』だと知ってもらえたら、どんな世代の人にも親しんでもらえる町になるんです」。三角さんらが熱く語った翌月、美術館から連絡があった。「足跡を残す趣旨なら著作物の使用を認めます」

 4カ月後、記念碑は完成した。場所は百道海岸があった「よかトピア通り」沿いの緑地。その名は「磯野広場」。サザエさん一家のキャラクターを使ってサザエさん誕生の経緯を紹介している。

 「足跡を伝える記念碑はできた。だが、人の流れを呼び起こすため、これをどう生かしていくのか」。達成感に包まれながら、課題も感じていた。

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