「五輪花道論」の虚と実 水江 浩文

西日本新聞 オピニオン面 水江 浩文

 十月十日、池田はオリンピックの開会式に出席した。昨夜の雨で心配された天気も、ウソのように晴れわたる。池田は、「きのうとは世界が違うようだ」と言って喜んだ(中略)。せめて最後を飾っていただこう、という病院側の配慮で出席できたのを、池田は知らなかったのである(伊藤昌哉著「池田勇人とその時代」より)

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 伊藤昌哉さん(1917~2002)は池田勇人首相(1899~1965)の秘書官だった。「ブーちゃん」の愛称で親しまれ、「自民党戦国史」など独特の政治評論でも有名だ。元西日本新聞記者で、口幅ったいが、私たちの大先輩でもある。

 伊藤さんによれば、闘病中の池田首相はがんだったが、本人には告知されないまま五輪開会式を迎えた。退陣を正式に表明したのは、五輪閉会式翌日の10月25日だった。

 今年は2度目の東京五輪・パラリンピック開催年だが、永田町の一部では「五輪花道論」が取り沙汰されている。来年9月末に自民党総裁任期が満了する安倍晋三首相が東京五輪を花道に退陣するのではないか、という臆測だ。

 余力のあるうちに事実上の後継を指名して影響力を保つ狙いも-などと、まことしやかな解説も付く。

 東京五輪だけでなく冬季五輪まで持ち出して五輪と政変の浅からぬ因縁を説く向きもある。札幌五輪が開かれた72年は佐藤栄作氏から田中角栄氏に首相が交代した。長野五輪の98年は参院選で自民党が大敗し、橋本龍太郎首相が退陣に追い込まれた。

 例によって干支(えと)と政変を結び付けるジンクスも健在だ。例えば、岸信介首相の退陣で池田氏へバトンタッチしたのも、佐藤氏-田中氏の交代も今年と同じ子年(ねどし)だった。

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 安倍首相はパラリンピック開会式前日の8月24日、首相の連続在職日数でも佐藤元首相を抜いて歴代最長を更新する。パラリンピックが閉会する9月6日には首相の党総裁任期と衆院議員の任期切れまで約1年と迫り、閉会後はいつ衆院が解散しても不思議ではない状況かもしれない。

 そうだとすれば、五輪花道論はその「煙幕」か。早期退陣の五輪花道論とは正反対に、首相自身が否定する総裁4選論が根強いことにも注意を要する。それには党則改正が必要だが、五輪花道論は「ポスト安倍は安倍」の党内世論を逆説的に喚起する深謀遠慮の「くせ球」だったりして…。虚々実々の駆け引きが続く「五輪イヤーの子年」である。 (論説副委員長)

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