「死」の意味も考えた  連載・霹靂の日々【10】大島一樹

西日本新聞 くらし面

 入院から半月後、つながれた管の数が減っていき、ようやく全身麻酔と筋弛緩剤の点滴も終了とのこと。危篤状態を抜けたことが確実となって、ホッとした時期でした。初めの頃は、脳波グラフでの反応に期待していたものですが、この頃ようやく口が少しだけ動いたり、目が半開きになったり、私たちに理解できる反応が出始めていました。

 しかし相変わらずと言うのか、医師からは「この程度の反応が精いっぱい」と後ろ向きの言葉。それでも長いトンネルのはるか先に、少しだけ光が見えた気がしたのでした。

 そんな中、たくさんお見舞いをしていただきました。親戚やご近所、私の仕事関係はもちろん、長女の卒業した高校の担任の先生、オクサンがパートに出ていた職場の友人。今考えると、さまざまな方々に支えてもらっていました。

 また混乱した状況で、たくさん不義理もしたのだろうと申し訳なく。特にオクサンの友人関係については、私自身がその辺りに疎いこともあって、連絡のしようがない状況でした。

 人の死には3種類ある、と聞いたことがあります。肉体の死、記憶の死、そして記録の死。肉体の死はどうにか回避できたオクサンですが、これまでの人生でご縁をいただいた方との記憶、それに危機が訪れているのかもしれない、そんなことを感じていました。そんなことを考えるのはまだ早い、とも。(音楽プロデューサー、佐賀県みやき町)

PR

くらし アクセスランキング

PR

注目のテーマ