サザエさん展中止の危機乗り越え 信頼関係つむぎ直す

西日本新聞 九州+

連載:「サザエさんの町」物語(4)

 サザエさんの名前が付いた通りがあり、サザエさんの着ぐるみは商店街をパレード…。順風満帆に見えるサザエさんを生かしたまちづくりだが、紆余(うよ)曲折もあった。

 1995年、福岡市早良区の歴史や文化を紹介する折りたたみのマップが完成した。市博物館と福岡タワーの写真を載せた表紙には漫画「サザエさん」の顔のイラストをあしらった。サザエさんが誕生した町をアピールする“原点”と言えるものだ。

 住民と区役所で構成する「住みよい早良区市民会議」が作った。作成班10人が半年かけて取材、地図上に52カ所の見どころの名称を記し解説を加えているが、漫画作者の長谷川町子さんゆかりの地は、見当たらない。百道(ももち)海岸で登場人物を思い浮かべたことを短い文章で触れているだけだ。

 「当時は長谷川さんの足跡を具体的に示せるものがなく、地図上では触れられなかった。でも、長谷川町子美術館の許可が得られてイラストが使えたのは、大きな一歩だった」。作成班だった宮嵜淳太さん(58)はこう振り返り、こんなエピソードも付け加えた。

 マップ作成の前年、市民会議が開いた地域文化を語るシンポジウムで、長谷川さんが第2次世界大戦中、東京から西新に疎開した話が出ると、会場からどよめきが起きた。「初耳だよね」。そんな声が宮嵜さんの周りで漏れ出したという。

 「国民的な人気のサザエさんが、地元で生まれたということが埋もれてしまっている。もっと知ってもらうために、新しい活動を始めよう」。宮嵜さんは班のメンバーと「サザエさんの会」を立ち上げ、区役所職員2人も加わった。

 96年5月、市民から提供を受けた漫画や長谷川さん自筆のイラスト付き年賀状などを展示する「サザエさん展」を区役所で始めた。長谷川さんが小学校から高等女学校まで福岡市に住んでいた時代の同級生の聞き書きをまとめた冊子づくりや、漫画コンクールの開催を計画するキャンペーンの第1弾だった。

 だが、その活動が突然止まった。美術館が「サザエさん展」中止を要請。美術館の許可は受けていたが、活動を次々と展開していくには時期尚早だった。無許可でサザエさんのキャラクターを使った商品が出回ったこともあり、美術館はキャラクター使用の広がりに特段の注意を払っていた。

 「もう少し時間をかけて進めていけばよかった。サザエさんで地域をもり立てていく思いを未来につなげるためにも、美術館との友好的な関係を保つことを大切にした」と宮嵜さん。展示会は開始から12日目で中止になった。

 美術館の協力で、「サザエさん発案の地」の記念碑が設けられ、サザエさんを生かしたまちづくりが一気に進み出したのはこの10年後。関係者は同じような思いを抱く。「サザエさんの会が先駆けて活動したからこそ、長谷川さんの足跡を残していく大きな流れが生まれていった」

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