なぜ建立?高校の「乙女の像」 歴史をたどって見えた女子生徒の悲話

西日本新聞 社会面 稲田 二郎

 運命だったのか。それとも引き寄せられたのか。渡辺友美教諭(31)は昨春、大分県別府市の別府翔青高に新任の美術教師として着任した。学校の正門近くにある少女のブロンズ像が汚れているのに気付き、授業で生徒たちと磨きたいと、夏前に教頭に申し出た。どうして建立されたかも分からなくなっていたブロンズ像。これを機に、いわれをたどっていくと-。

 ブロンズ像について調べたのは同校の金田浩嗣教頭(54)。学校に残る資料を読み、卒業生に話を聞くなどして設置の経緯を探った。別府翔青高は2015年4月、3校を統合して開校。前身の1校である別府青山高で1991年にブロンズ像が建立されたことを確認した。そこには、悲しい物語があった。

 話は89年2月2日にさかのぼる。兵庫県淡路島の津名港の防波堤に定期高速艇が激突。船には別府青山高3年の首藤久美子さんが乗り合わせていた。県立淡路看護専門学校(当時)を受験した帰りだった。享年17。2週間後の発表で合格が明らかになった。

 子どもが好きだった久美子さんは小児医療への関心から看護への思いを強め、受験勉強に励んだという。死後、父頼親さん(88)、母加代子さん(78)が見つけた日記には、恩師や友人へ感謝がつづられていた。

 事故時、丁寧に対応してくれた教師たちへのお礼として、両親は学校に寄付を寄せた。それを元に設置されたのが「乙女の像」だった。

 ブロンズ像の悲話を聞いた渡辺教諭は昨年10~11月、美術選択の3年生20人と汚れを落とし、ワックスでつやを出すなど手入れした。

 今年1月31日、命のありがたさを考える機会にしようと、頼親さんと加代子さんを招き、学校で追悼式典が開催された。1年生281人を前に、頼親さんは「生きたくても生きることができなかった人がいることを忘れず、命を大切に生きてください」と語り、加代子さんは隣で涙を流した。

 同席した渡辺教諭は「縁を感じます」と語った。渡辺教諭が生まれたのは、久美子さんが亡くなった89年2月2日。加代子さんは「目には見えないつながりってあるんだなと思います。今も娘が空から見てくれているようです」。そう言って、また目頭を押さえた。 (稲田二郎)

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