【新型ウイルス拡大】姜 尚中さん

西日本新聞 オピニオン面

◆「ハイテク社会」に警鐘

 新型コロナウイルスの脅威が世界を席巻している。華中地方最大の工業都市で「東洋のシカゴ」ともいわれる武漢市は人口1千万人以上を擁し、習近平政権が取り組む「中国製造2025」のモデル都市である。ハイテク国家・中国の将来を占う大都市が発生源とされる新型ウイルスの感染拡大は、中国の屋台骨を揺るがしかねない「内なる敵」となりつつある。

 この敵を首尾よく退治できるのか。習近平政権はおろか共産党一党支配の浮沈がかかっていると言っても過言ではない。現地に進出し、武漢市を中心とする自動車やエレクトロニクスなどのサプライチェーンと切っても切れない日本の製造業や商社、金融にとっても重大事である。そして中国人観光客に依存する日本のインバウンドにも、死活的な意味を持っている。

    ◆   ◆

 米国と互角に張り合い、一帯一路で世界を席巻し、国家統制型の資本主義でハイテクまっしぐらに躍進する中国に、このような「伏兵」が潜んでいようとは。武漢市内の市場で取引される野生動物からヒトへ感染した疑いが事実なら、食に付される哀れな動物がもたらした「死の贈り物」というべきである。

 ロングセラー「銃・病原菌・鉄」の著者ジャレド・ダイアモンドは、神聖ローマ帝国の先兵であったピサロがインカ帝国のアタワルパ王族を破滅させ、一つの文明を崩壊に導くのに決定的な影響を与えた病原菌のことを「家畜がくれた死の贈り物」と呼んだ。

 現代の病原菌ともいえる新型ウイルスは、グローバル化の渦巻きに乗ってパンデミック(大流行)の様相を呈しようとしている。ジョージ・オーウェルのSF小説「1984」の世界と見まがうような、監視と統制の行き届いた中国ですら、封印できないとすれば、グローバル化に対する最大級のしっぺ返しといえるのではないだろうか。

 新型ウイルスのパンデミック化は自然環境をないがしろにし、自然の一部であるはずの人間の身体をも無化しようとする唯脳論的なグローバル化とデジタル化への警鐘なのかもしれない。無邪気に寿(ことほ)ぐことの愚かさに気付くべきである。

   ◆     ◆

 最たるものは「人工知能」(AI)万能論だろう。グローバルなビッグデータを最新システムと結び付けることでトランスヒューマン(人間を超える)な絶対的知力を備えたAIが誕生し、社会は全てAIを巡って回るというご宣託。人間を含めた生命活動と機械的作動とを同質とみなす考え方である。

 しかしそれは、人間、広くは生命体の「生きる」という欲望や目的が、世界を意味付け、社会の文脈を読み取ることを可能にしている実情を無視していないか。生命体としての人間は、身体的な制約から抜け出すことは不可能で、常に病原菌やウイルスの宿主になるリスクにさらされている。西垣通氏の「AI原論」によれば、人間は脆弱(ぜいじゃく)な「身体の内側から経験し、行動にともなってダイナミック」に心を創出していくことができるのであり、「心とは、器のように外部観察できる所与の実体」ではないのだ。

 ウイルスの宿主になり、心を創(つく)り出す生きた媒体にもなる「身体」を滅却しようとする万能の人工知能への夢が、いかに偏頗(へんぱ)な生命や人間の理解から成り立っているかは明らかだ。

 その夢をかなえるモデル都市のような武漢で、新型ウイルスが改めて生命体としての人間の抱える身体的な制約を突くことになったのは皮肉と言うほかない。一日も早い終息を願いつつ、それが投げ掛ける問題の深さに慄然(りつぜん)とせざるを得ない。

 【略歴】1950年、熊本市生まれ。早稲田大大学院博士課程修了後、ドイツ留学。国際基督教大准教授、東大大学院情報学環教授、聖学院大学長など歴任。2018年4月から鎮西学院院長。専攻は政治学、政治思想史。最新刊は「母の教え」。

PR

社説・コラム アクセスランキング

PR

注目のテーマ