発売40年、世界に5億個 ガンプラが愛される理由は 川口名人に聞いた (2ページ目)

西日本新聞

 ファンとして模型に接した感覚と、その送り手になる感覚は全く違いました。「好きなことを仕事にすると不幸になる」なんていわれますけど、そう思っていたこともありました。

 マスプロダクツの製品は自分一人で作るわけではないので、関わる人たちで意識を共有していかなきゃならない。作る時のコストや、実現可能かどうか、生産技術の問題も出てくる。「もし自分が作るなら」という理想があったとしても、量産するためにはスペックを落とすしかないわけです。やりたいことを割り引いた形でしかものづくりできないわけで、そのギャップはしんどいですよね。

GガンダムがあったからMGが生まれた

 入社してから10年くらいはそんな気分で仕事をすることもあったのですが、マスターグレードシリーズ(※、MG)の発売が転機になりました。前年に「機動武闘伝Gガンダム」が放映されて、そのガンプラの売り上げが良かったので、ご褒美というわけではないですが、上司から「本当にやりたいものをやってみな」と言われたんです。※ガンプラのブランドの一つ。モビルスーツの内部構造を再現、関節の稼動範囲が広いといったこだわりを詰め込んだ、愛好家向けのモデル。

 それまでのガンダム好きの人には「Gガンダムはガンダムじゃない」と言った人もいました(※)。ただ、Gガンダムが期待値を超えたのは、子どもたちのファンが付いてくれた部分もあるんです。テレビは新しいお客様にガンダムを知ってもらうために一番良いツールだし、その層に対して商品を作ることはこれからもやっていかなければならないんだと、再認識しました。※今までのガンダムシリーズとかけ離れた「各国代表がガンダムを使って格闘技大会を戦う」という設定が旧来ファンの間に物議を醸した。

 一方で、あの時点でガンダムは15周年でした。「ずっとガンダム好きでガンプラを作っています」という方に対して、(新規顧客と)同じものでは満足してもらえないですよね。その層に向けたガンプラを、そして自分がやりたかったものを商品にしたのがMGだったんです。Gガンダムがあったからこそ、MGが生まれたと言っても良いぐらいです。

アニメの作中の設定で色が変わるガンダムを再現したガンプラもある。「トランザム」と宣言しながら作りましょう

 -ガンプラは発売以降、接着剤を使わずに完成できたり、着色箇所が増えて組み立てるだけでカラフルになったり、様々な進化を遂げてファンを増やした。川口名人が考える、発展のターニングポイントは。

 自画自賛で申し訳ないですけど、やはりMGですね。テレビのマーチャンダイジングの中で生まれてきたそれまでのプラモのラインと違った、コンセプトモデルを提示できたのは大きかったと思います。テレビの放映に合わせて展開している商品では満足されない方にとって、欲しかった商品が提示できたんじゃないでしょうか。

 ターゲットに合わせて商品を考えていく、という作り方はそこからですよね。その後さらに別のブランドを広げていくことにもつながりました。MGの特長は年数を重ねてスタンダードな商品のスペックになっていきましたので、お客様にとってのガンプラの捉え方が意識的に変わっていったのではないのでしょうか。

◆次世代が考えたガンプラを作ってみたい

 -川口名人が考えるガンプラの将来像は

 ガンプラは「もし本当にあったら」というのがずっとベースにあるんです。本当に18メートルのロボットがあったら。単なる立像ではなくて動いて戦うとしたら、どんなものになるのか。アニメーションでは描ききれない部分があるかもしれないので、模型として突き詰めていくのがガンプラの目指す先です。ただ、僕の考え方や方法には世代的に限界がある。

 僕は子どものころからものづくりが好きで、戦記ものやミリタリーも好きだった。モビルスーツを戦車に例える、飛行機に例えるという方法論で、MGもその方法論でやりました。その世代は僕らがほぼ最後かもしれません。

 少し若いと全く違う体験をしています。例えばゲームが当たり前にあった世代には違う価値観がありますし、その中で生まれてくるガンプラは、僕がイメージするものとは違うでしょう。むしろ全く違うガンプラが出てきてほしいです。若いスタッフたちが考えるガンプラを出してほしいし、僕も実際に手にして組み立ててみたいですね。

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