望東尼が好んだ木々に幕末しのぶ 福岡・平尾山荘 有志が守った景観

 福岡市中央区平尾の閑静な住宅街の一角に、見頃を迎えた梅の名所がある。同市出身で幕末の勤王歌人、野村望東尼(ぼうとうに)が暮らした「平尾山荘」だ。紅白のかれんな花が行き交う人たちを楽しませている。住宅地の梅林は、何か望東尼とつながりがあるのだろうか。早春を告げる甘酸っぱい香りを感じながら、山荘を訪ねた。

 平尾山荘は、野村望東尼(1806~1867)が40歳のころ、歌道を究めようと夫とともに移り住んだ隠居所だ。夫の死後、尊王攘夷(じょうい)運動に接して勤王の志を高くし、長州の高杉晋作ら志士をかくまった場所としても知られる。地元有志による復元や改築を経て、現在の庵は三代目。庭園と合わせた約3700平方メートルの敷地は福岡市の史跡になっている。

 望東尼研究家として知られ、近所に住む谷川佳枝子さんに敷地内を案内してもらった。まずは庵へ。当時、一帯は人里離れた雑木林で、松の大木の間に粗末な庵がひっそりと建っていたという。夫妻は庭に桜、梅、カエデ、柳を植え、池を掘った。花鳥風月を友とする姿が目に浮かぶ。

 「当時の樹木は残っていない」と聞かされ肩を落としていると、庭園の梅の木の下へ案内された。幹に掲げられた案内文には望東尼の和歌とその意味が記されている。

 冬深き 雪のうちなる 梅の花 埋(う)もれながらも 香やはかくるる

 「深い雪の中にあっても香が隠れることはない」

 谷梅之助という変名で山荘に潜んでいた高杉晋作の人物を見込み、「梅の花」にたとえて再起を期待した歌だという。高杉快挙の報には、つぼみだった梅が咲いたと喜びを表現した。谷川さんは「冬の寒さの中でいち早く春を知り花開く梅に、時代を切り開こうとする高杉の姿を重ねていたのかもしれない」と解説してくれた。

 現在、庭園には約25本の梅の木をはじめ、望東尼の好んだ木々が植えられている。大正期以降、周囲の宅地化が進む中、地元有志らが土地を取得し、景観を守ったとされる。望東尼の顕彰や平尾山荘の保存、維持活動をする「平尾望東会」の志間久宣会長(85)=中央区浄水通=は、植栽のいきさつは「分からない」としながら、「望東尼を慕って歌人や志士が集まったように、地域の人たちが山荘の自然に親しんでくれることを望東尼もうれしく思っているでしょう」とほほ笑んだ。

 1867年の王政復古の大号令を聞く1カ月前にこの世を去った望東尼。先んじて春を告げる梅に、その姿が重なる。(田中仁美)

【平尾山荘】福岡市中央区平尾5の2の28。管理棟には望東尼の業績をしのぶ展示コーナーがある。開場は午前9時~午後5時。入場無料。毎年11月6日の望東尼の命日に慰霊祭が開かれる。同山荘=092(531)6866。

関連記事

福岡県の天気予報

PR

PR