平野啓一郎 「本心」 連載第148回 第七章 転機

西日本新聞 文化面

「まァ、……そうなんですかね。」

「幸せな人には要らないと思う。」

「でも、欺(だま)されたまま死ぬのって、どうなんでしょう?」

「欺されてるとも言えないんじゃない? 仮想現実だって、人間が作った一つの世界なんだから。宗教だってそうでしょう? 天使じゃなくても、阿弥陀仏(あみだぶつ)でも何でもいいけど、そういうの、昔の人も“死の一瞬前”には見たがってたんでしょう?」

「昔の人は、……ええ。」

「馬鹿(ばか)馬鹿しい?」

「いえ、信仰を持ってる人を否定するつもりはないんです。ただ、それだったら、僕は最後に愛する人と一緒にいたいっていう母の気持ちの方が、まだわかります。」

「堂々巡りよ。……そういう人がいないから、困ってるって話だったんじゃないの?」

 三好は、寂しそうな、幾分、苛立(いらだ)った口調で言ったが、それをごまかすように微笑して語を継いだ。

「でも、一つだけ、わたしが死後も消滅しない方法があると思うの。」

 僕は小首を傾(かし)げた。

「わたしも宇宙の一部だって、感じ取るの。わたしと宇宙との間には区別がなくて、宇宙そのものとして死後も存在し続けるって。」

「……。」

「≪縁起≫は、時間のスケールが、三〇〇億年とかなの。想像できる? ビッグバンとかから始まって、途中で地球が誕生して、太陽に呑(の)み込まれて滅んで、そのあとも淡々と時間が続いて、更(さら)にまた一〇〇億年後、とか。――朔也(さくや)君も、試してみる?」

「……はい。」

 僕が頷(うなず)くと、三好は、「ちょっと待ってね。」と、一旦(いったん)、自分のピンク色のヘッドセットをつけて設定を操作し、僕に貸してくれた。

 僕は、何となく、自分たちのいるリヴィングの様子を見回した。

 そして、ヘッドセットを装着し、しばらく目を閉じていたあとで、ゆっくりと開いた。

 僕は、宇宙空間にいた。どこを見ても雲のない澄んだ星空のようで、数秒後には、無重力状態のように、上下左右の感覚に変調を来した。

平野氏のメッセージ

私たちの生を、さながら肯定する思想を考え続けています。主人公は、愛する母親を亡くしたあと、仮想現実によって再現された母親と生活することになります。その過程で見えてくる母の本心と、自分の心の変化が主題です。乞うご期待!

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)プロフィール

 1975年、愛知県蒲郡市生まれ、北九州市育ち。東京都在住。京都大在学中の99年、デビュー作「日蝕」で芥川賞。「ある男」(読売文学賞)など。「マチネの終わりに」(渡辺淳一文学賞)は福山雅治さん、石田ゆり子さん共演で映画化された。

マチネの終わりにの公式サイト

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