「七人の侍」をもう一度

西日本新聞 オピニオン面 上別府 保慶

 俳優の仲代達矢さんは、戦時中から黒澤明監督の大ファンだった。戦後は「酔いどれ天使」のエキストラに学生アルバイトで参加。さらに俳優座養成所に入ってからは「七人の侍」で通行人の浪人になった。

 それは一瞬しか映らない端役だったが、野武士の略奪にたまりかねた農民たちが往来で助けてくれる侍はいないかと目を凝らす、重要な場面だった。

 その日の撮影が始まったばかりの朝9時、黒澤監督は仲代さんに「君、一番最初に歩け」と命じた。

 とはいえまだ駆け出し。侍の歩き方など知らない。主演の三船敏郎さんら大勢が見守る中、仲代さんは「歩き方が違う!違う!」と何度も怒鳴られ、昼になっても「昼飯など食わせるな!」と一喝された。やっと「まあいいか」と言われたのは午後3時。よほどこたえたのか、仲代さんはこの思い出を後のインタビューで繰り返し語っている。

 映画やテレビの時代考証を担当した武術家の名和弓雄さん(北九州市生まれ)はその著書「間違いだらけの時代劇」(河出文庫)で昔の日本人の歩きを演じる難しさを指摘している。

 「昔の人は、士農工商みな、手を振って歩くことはしなかった。両手を肩から前後に振って歩く現代の歩き方は、幕末、明治初期、舶来の洋式軍隊調練の『歩調とれ! オイチニイ、オイチニイ』が日本人に定着して以降の近代的歩行法である。侍は左手で袖口を、右手は白扇か鉄扇を握り、袴の膝上に当て、上体をピンと伸ばして両手を動かさないで歩く。農家のおやじさんは胸の前に両腕を組んで歩く…」

 終戦直後、邦画界は連合国軍総司令部(GHQ)から、俗に「チャンバラ禁止令」と呼ばれる検閲体制を敷かれた。刀を振り回す時代劇は軍国主義的であり、敵討ちなど復讐を賛美する内容は米国への敵意をあおると規制されたのだ。

 その縛りが消え、黒澤監督は従来のチャンバラ映画とは一線を画したリアルな時代劇を目指して「七人の侍」に取り組んだが、仲代さんはそんな情熱の洗礼をもろに受けたわけだ。

 ちなみに、幕末の武士が洋式軍隊の歩き方になじめずに苦労した様子は、山田洋次監督が映画「隠し剣 鬼の爪」でユーモラスに描いており参考になる。

 さて、往年の名画を劇場上映して10年間続く「午前十時の映画祭」が終盤を迎えている。「七人の侍」も4Kデジタルリマスター版で再登場する。

 九州では7~20日に福岡中洲大洋など福岡、長崎、大分、鹿児島市の4館で。21~3月5日は福岡県中間市と佐賀市、熊本県菊陽町の3館で。銀幕で若き日の仲代さんを探すのも一興だ。 (特別編集委員・上別府保慶)

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