どっち向いていくの? 山浦 修

西日本新聞 オピニオン面 山浦 修

 東日本大震災が起きた3・11が近づくと、同じ2011年の夏に、国土交通省から「首都機能移転企画課」の看板が下ろされたことを思い出す。衆参両院で「国会等の移転に関する決議」が行われた1990年から21年。国策の静かな“後退”だった。

 死者・不明者が1万8千人を超えた大震災から、わずか3カ月余。震度5強を記録した東京圏でも、東京タワーの先端が曲がり、交通網は大混乱。福島原発事故も加わり、都市機能がまひした光景が目に焼き付いていた。

 しかも「首都直下地震がいつ起きてもおかしくない」との観測が飛び交っていた時だっただけに、組織改編に唐突感と違和感を持った。

 あの日午後2時46分からの異常事態を、東京圏住民として体験して実感したのは、人口、経済、政治・行政、情報など、国民生活に不可欠のさまざまな機能が集中している便利さと裏腹の、もろさ、危うさだった。当時の菅直人首相が指揮した政府の災害対応も、揺れ続けた。

 その16年前の95年1月に阪神大震災が起きた際も、関西都市圏での被害状況の把握に手間取った政府が、急きょ、担当相を仕立てて関西圏へ派遣したり、当時の国土庁の防災局要員を増強したりと、大慌てした姿を鮮明に覚えている。

 一極集中問題は地方分権と連動した長年の懸案で、国会決議は、国会や政府機関を移転させて、首都圏に「集中」する機能や人口を「分散」へと誘導する起爆剤とされた。実際、阪神大震災の後には「安全」「安定」への危機感の高まりとともに移転機運が盛り上がり、99年には複数の候補地が打ち出された。しかし、絞り込み前に足音が弱まった。

 膨大な利害調整と費用を伴う国家事業を具体化する困難さを物語るが、背後に中央官庁の壁が透ける。霞が関に陣取り、「経済大国」への道を主導した官僚集団は、効率性を重視し、既得権益維持に熱心。財政難、社会保障再建など集中是正の優先度を下げる理由の列挙も得意だ。「東京暮らしは便利で刺激的」との本音も見え隠れする。

 一方、移転を決議した永田町。地方創生や強靱(きょうじん)な国土形成は語られるが、集中是正の成果は乏しく、推進への熱気も感じられない。

 東京圏への転入超過が24年続く現状を前に、たたずむのか。分散型社会を諦めないのか。きょうは建国記念の日。次世代につなぐ国づくりの根幹の「看板」をどっちを向いて掲げるかに思いを巡らせてみませんか。 (特別論説委員)

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