聞き書き「一歩も退かんど」(82)2人目の「犠牲者」が 志布志事件冤罪被害者 川畑幸夫さん

西日本新聞 オピニオン面 鶴丸 哲雄

 やっぱり-。2008年3月31日、踏み字事件の一審で有罪判決を受けたH元警部補が、福岡高裁へ控訴しました。福岡地裁の判決で「警察への信頼を損なった」と厳しく指弾されたのに、なぜ素直に罪を悔い改めないのでしょう。

 西日本新聞の湯之前八州(やしま)記者が電話で感想を求めてきました。「踏み字は屈辱の仕打ちでした。執行猶予も付いたのに控訴するなんて、理解できません」と答えておきました。

 そして、秋葉原無差別殺傷事件に日本中が震撼(しんかん)した6月、また訃報が。志布志事件無罪国家賠償訴訟の原告、永利忠義さんが脳出血のため23日に亡くなったのです。享年75。志布志事件では、刑事裁判の公判中に亡くなった山中鶴雄さんに続き2人目の犠牲者です。

 優しくて働き者だった永利さんが、鹿児島県警の標的にされたのは2003年5月。「藤元いち子宅での買収会合に出席して金を受け取っただろう」と責められました。任意同行は妻のヒナ子さんにも及び、ヒナ子さんは取り調べをすごく怖がりました。それで永利さんは、足の具合が悪いヒナ子さんをおぶって山中へ逃げ、一晩を明かしたこともあった、と聞いたことがあります。

 取り調べが続くうちに永利さんは精神錯乱状態になります。自宅で一晩中太鼓を打ち鳴らして「懐(ふところ)(集落)におる刑事はみんな出てこい」と叫ぶほどに。ほどなくして骨髄の病気を発症し、在宅起訴されました。

 その時に家族の悲劇が起きます。小学校しか行っていない永利さんは「子どもに自分のような思いはさせたくない」と、必死でお金を工面し長男を大学まで出していました。公務員になっていた長男は起訴の報道に驚き、永利さんに電話で告げました。「新聞に6万円もらったと出ていた。親子の縁を切る」

 永利さんは以来、長男と会うことはなかったようです。その後は胃がんを患い、苦しい闘病生活が続きました。夜中に起き出しては「くされ警察が。おいの体を返せ」と叫んでいたそうです。「最後に会った時に中2だった孫の顔を、一度でいいから見たい」と漏らしていましたが、それもかないませんでした。無念だったことでしょう。

 志布志事件の判決で無罪を勝ち取った永利さんが、志半ばで逝った山中さんの遺影を抱いて「勝ったどー」と何度も叫んでいた姿が今も目に浮かびます。本当に罪深い志布志事件です。

 (聞き手 鶴丸哲雄)

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