睡魔防止の軍用チョコ

西日本新聞 オピニオン面 上別府 保慶

 テレビの棋戦中継では見えにくいが、将棋や囲碁の棋士たちの手元には甘い菓子をのせた皿がよく置かれている。脳がカロリーを大量に消費するためで、将棋の羽生善治九段は長い対局の後に2キロも痩せていたことがあったという。

 「大食いの臓器」と言われる脳の糖分補給には菓子が手っ取り早い。「ひふみん」の愛称でおなじみの加藤一二三・九段の現役時代には、おやつに板チョコ10枚を平らげた日があった。

 戦時中の国民は、この糖分に飢えた。有名な文豪もその例外ではない。

 洋行経験があり、無謀な戦争に反発した永井荷風は日記「断腸亭日乗」の1942年2月2日に「甘きものくれる人ほどありがたきはなし」と書いた。配給生活の中、親しい人々がようかんやココアをくれたのを喜び、涙の歌も添えた。

 「あじき(あぢき)なき浮世の風の吹く宵は人のなさけにしぼる袖かな」

 日本の軍部はこの1年余り前にチョコレート原料のカカオ豆の輸入がストップすると、指定した業者にだけカカオ豆を配給した。

 航空機の搭乗員は長距離を飛んだ帰り道に睡魔に襲われる。海軍はその眠気対策として、カフェインを混ぜたチョコレート「居眠り防止食」を開発させた。また、室温が40度にも達する潜水艦の乗組員のために、特殊な機械で圧縮して作る「溶けないチョコレート」も考案された。

 やがて占領地のインドネシア産のカカオ豆が使えるようになると、陸海軍は森永製菓や明治製菓に軍用チョコレートを現地で生産させた。それは海路を絶たれて内地へは届かなかった。原料にブドウ糖やユリ根、チューリップの球根などを使った代用品が試みられたもののやはり味は劣った。武田尚子早稲田大教授が書いた「チョコレートの世界史」(中公新書)より。

 「ココア」と呼ばれる飲み物が中心だったカカオ豆の加工品が、固形チョコレートになって普及したのは19世紀のこと。当初は高級品だったが、第2次大戦中は高カロリーの栄養食として各国が軍の携行糧食(レーション)に採用した。

 米軍は、戦後の日本の焼け跡で子供たちが「ギブ・ミー・チョコレート」とねだったハーシー社のものなどを大量に発注した。英軍も南方戦線の兵士のために熱に強いチョコレートやビタミンを配合したものを作らせたが、これを納品したロントリーは、今も日本の受験生が「きっと勝つ」と縁起をかつぐ「キットカット」を開発した菓子会社だった(後に合併吸収)。

 人の命を奪うのも戦争なら、文豪から甘味を奪って涙させたのも戦争。平和で甘いバレンタインデーに寄せる、こぼれ話の詰め合わせ。 (特別編集委員・上別府保慶)

PR

社説・コラム アクセスランキング

PR

注目のテーマ