なぜ?2市1町で公園共有の謎 複雑な境界線…昭和の自治体合併の副産物か

西日本新聞 筑後版 山口 新太郎

 福岡県久留米市が保有する土地や建物について調査した行政資料をめくっていて気になる記述を見つけた。「広川町に同町と筑後市、久留米市で共有する公園がある」。本当なら域外にある公園の管理費を市が負担していることになる。行財政改革が叫ばれる中、なぜ? 現地を訪れ調べてみた。

明治天皇の訪問も関係?

 資料は2013年度の包括外部監査結果報告書。市の支出が適切かなどを公認会計士などの監査人が年1回テーマを絞って監査し報告するものだ。この時のテーマは「公有財産の管理・運営」だった。

 報告書によると、問題の公園は広川町藤田の「稲荷山公園」。登記簿によると4366平方メートルで、1977年から町72%、筑後市18%、久留米市10%の割合で共有する。監査人は行政区を越えて共有する必要は低いとして、土地を町に譲渡するよう「意見」した。

 公園はインターネットで検索しても見つからず、詳しい住宅地図にも表示がない。久留米市の担当者に印を付けてもらい向かった場所は、市と広川町の境で、県道からの登り口は崩れており封鎖されていた。裏に回り、車1台通れる道を行くと開けた小高い丘にたどり着く。木が茂り起伏がある広場からは美しい田園風景を見渡せた。眺めは良いが、運動に適した場所ではなく遊具もない。こんな原っぱをなぜ2市1町で共有する必要があるのか-。

   ◇   ◇

 ヒントは、リアス海岸のように入り組む町と2市の境界線にあった。

 公園周辺はもともと「下広川村」という一つの村。久留米市史などによると、1955年4月に上広川と中広川の両村が合併して広川町が誕生すると、下広川村は同町、筑邦町(67年に久留米市に編入)、筑後市のどこと合併するかで村民が割れた。県が調停に乗り出したがまとまらず、同年12月、分村に至る。

 その際、集落単位ではなく、「どこに編入されるか1戸ごとの要望で分かれた」というのだ。市史には一軒の家の母屋と小屋の間に境界線があった例も紹介される。こうして複雑な境界線が生まれた。

 久留米、筑後両市とも「土地共有の詳しい経緯は不明」というが、久留米市の担当者は「分村後も住民が共同利用する以上は、わが市も管理責任を負う必要があると考えたのかも」、筑後市も「申し送りでは『合併の産物』と聞いている」と関連を認める。

 広川町藤田の区長、緒方久幸さん(71)によると、町内では公園を「国分寺公園」と呼び、桜の季節には花見客が訪れるという。町から地区の老人クラブが管理委託を受けており、緒方さんも手伝っているが「公園を2市と共有しているとは初耳」と驚く。

 「分村時は小学生で、学校が別になった同級生もいた。それでも市町に関係なく、近所の子と遊びました」と緒方さん。公園もみんなの遊び場だったはずで、共有に一定の合理性もあるといえばありそうだ。

   ◇   ◇

 今でこそ訪れる人も少ないこの公園、実は由緒ある舞台でもあった。

 公園の隅にたつ「大元帥陛下駐蹕之處(ちゅうひつのところ)」と刻まれた碑。町の広報紙によると、1911年、明治天皇がこの地から陸軍の演習を視察したことの記念らしい。

 演習の受け入れは「下広川村の総力を挙げた一大事業」(広報紙)。小学校の旧校歌でも「明治の帝の畏(かしこ)くも 大演習のお出ましに 御野立まししあとどころ」と歌われるほどの名誉だった。これも公園の共有に関係したのかと思いを巡らすのは考えすぎか。

 共有に伴う管理費負担として、町に毎年支払う額は久留米市が約6千円、筑後市は1万円程度だ。久留米市は監査人の意見を参考に、広川町に土地譲渡の協議を申し入れることを検討している。市町の境に人知れずたたずむ公園の意外なドラマを知り、帰り道は複雑な思いだった。(山口新太郎)

福岡県の天気予報

PR

福岡 アクセスランキング

PR

注目のテーマ