「一服やろう」があいさつ…北朝鮮“麻薬汚染”の内実 元密売人の脱北者が証言

西日本新聞 国際面 池田 郷

 北朝鮮で麻薬中毒者が急増しているという。かつては外貨獲得のために密輸出していた北朝鮮製の覚醒剤やアヘンが、国境を接する中国当局の取り締まり強化や核・ミサイル開発を巡る経済制裁の長期化で行き場を失い、国内の未成年を含む一般市民に浸透していると報じられる。2006年に脱北した李主成(イジュソン)さん(54)は覚醒剤の密輸出に従事していたという。国家が絡む北朝鮮の麻薬密売の実情や、韓国で暮らす脱北者の厳しい現実を李さんが語った。

 現地で「オルム」(氷)と呼ばれる覚醒剤の密売に李さんが手を染めたのは2000年ごろ。「これを中国に売ってくれ」。幼なじみの軍人からひそかに500グラムを手渡された。

 李さんは当時、中国国境に近い咸鏡北道会寧市にある朝鮮労働党傘下の貿易会社に勤めていた。会社は朝鮮ニンジンや水産物を中国側の国境地域、吉林省延辺朝鮮族自治州に密輸しており、李さんはその担当支部長だった。中国側の公安関係者に顔が利くため、麻薬密売でも適任と思われたようだ。

 北朝鮮製の覚醒剤は当時、国内の取引価格が中国元で1グラム100元(約1500円)程度。国境の豆満江を渡って中国に入ると1グラム300元で売れた。覚醒剤は韓国まで運ばれ、末端価格は元値の30倍に跳ね上がったという。薄利多売の食品などの密売とは桁違いのもうけだ。売り上げの7割を上納し、残りは李さんの懐に入った。

 しばらくすると、別の軍幹部から「国のため外貨を稼げ」と命じられた。手始めに、トラック数台分の果物を中国から密輸入するよう指示された。李さんと中国の公安関係者との間に確かなコネがあるか確認しようとしたのだ。実際にリンゴなどの果物が届くと、軍幹部は正式に麻薬密売のお墨付きをくれた。取引には米ドルや中国元、日本円の精巧な偽札が用いられることもあった。

 北朝鮮では1992年、故金日成(キムイルソン)主席の指示でアヘンなど麻薬の原料となるケシの栽培が国家事業となったとされる。食糧難が深刻化する中、覚醒剤やアヘンの製造と密売で外貨獲得を図ったが、焼け石に水。90年代後半に餓死者は約300万人を超えたとされる。

 生き延びるために人々は闇市で食料の売り買いを始めた。市場経済化がなし崩しに進み、本来は厳罰の個人の蓄財も当局は黙認した。00年代になると、党や軍の外貨稼ぎに協力するなどして財を築いた李さんたちのような「金主(トンジュ)」(新興富裕層)が各地に現れ、貧富の格差が広がった。

 「北朝鮮は金さえあれば天国だった。うまいもの、酒に女…。何でも手に入った」。だが、李さんの羽振りの良い暮らしは長くは続かなかった。

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 李さんは05年12月、脱北を希望する男女2人を知人のブローカーに紹介したことを当局につかまれた。身の危険を感じた李さんは06年1月に脱北。後を追って脱北した妻子や母親も山野を逃げ回った末に中国経由で韓国にたどり着いた。

 しかし、弟は脱北に失敗し、消息不明になった。弟は工作員を養成する施設で指導員として働く傍ら、大規模な麻薬密売に従事していた。後になって、弟は服毒自殺したことが分かった。当局に捕まったその場で、用意していた毒薬を飲んだという。脱北を試みて刑務所や政治犯収容所に送られれば、生き地獄が待つことを誰もが知っていた。

 国連の調査委員会が14年に公表した北朝鮮における人権に関する調査報告書には、脱北を試みて当局に拘束された人々などに対する過酷な拷問の体験談や目撃談が記録されている。ある男性は見せしめのため鼻輪を付けられて市中を車で引きずり回され、看守に性的暴行を受けた女性も数知れないという。

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 米政府系の自由アジア放送(RFA)は昨年10月、朝鮮労働党幹部や富裕層の子どもが通う両江道恵山市の高校で生徒5人が麻薬を使ったとして摘発されたと伝えた。麻薬汚染は党の若いエリートや主婦にも広がっているとの報道もある。

 「韓国では友人に会うと『一杯飲もうか?』と声をかけるが、北朝鮮では最近『(麻薬を)一服やろうか?』とあいさつ代わりに言うそうだ」。現在も北朝鮮の知人と連絡を取り合う李さんは、伝え聞く現地の実態をそう語る。

 北朝鮮製の麻薬の密輸出が急減したのは11年、中国当局が北朝鮮側に厳重抗議したのがきっかけとされる。さらに経済制裁など国際社会の締め付けが重なり、だぶついた麻薬は国内で売買されるようになったという。

 李さんが脱北して14年。北朝鮮には今も兄や親戚が暮らす。連絡を取るたび金を無心される。窮状を訴える電話口の声に胸が痛む。

 李さん自身、韓国で生き抜くために職を転々とした。トイレのタイル張り、靴磨き、工場での重労働。今は作家となり、脱北者をテーマにした作品を発表し続ける。

 作品は文在寅(ムンジェイン)政権に批判的だ。人権派弁護士出身の文大統領が、北朝鮮の人々の人権を踏みにじる金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長との融和路線に傾く矛盾を厳しく追及している。

 李さんは過去の革新政権を批判した作品で名誉毀損(きそん)罪に問われて有罪となり、係争中の裁判もある。最新作は出版社に軒並み敬遠され、昨年12月に自費出版するしかなかった。

 「北朝鮮のようにむき出しではないが、自由民主主義国の韓国でも私は目に見えない圧力に苦しめられている」。二つの体制に人生を翻弄(ほんろう)されてきた李さんの苦難は続く。

刑務所で製造、工作員が取引 14年国連報告

 国連調査委員会が2014年に公表した北朝鮮における人権に関する調査報告書は、脱北者など約80人の証言を元に、人権侵害の状況や当局が絡んだ麻薬密売などの非合法活動について約400ページにわたって詳述している。

 調査委は、脱北に失敗して逮捕や強制送還された人々を北朝鮮当局が正式な裁判などを経ずに恣意(しい)的に長期間拘束し、組織的に迫害や拷問を行っていると指摘。男性看守による女性への性暴力のほか、中国で子どもを身ごもった妊婦の強制堕胎や出産直後の乳児の殺害などが常態化していると強調した。

 報告書は1990年代に刑務所でアヘンが製造され、国家安全保衛部の工作員らが中国の商人に売って外貨を獲得していたとの証言も紹介。2008年には武器売買や麻薬売買などの不法行為で得られた収入は年間約5億ドル(約550億円)に上り、その利益は最高指導者の故金正日(キムジョンイル)総書記と一部エリート層の資金源になったとみられている。

 調査委は中国の対応も名指しで批判した。「脱北者に深刻な人権侵害が待ち受けているにもかかわらず、北朝鮮国民を強制送還する厳しい政策を維持している」として、脱北者を保護対象とするよう要求。中国に脱北した女性らが中国国内で人身売買の対象となっている実態の改善も促した。

 北朝鮮は13年、国連人権理事会が北朝鮮を対象とする調査委設置を決議したことを「完全に拒否し、無視する」と激しく反発。調査委が14年の報告書で抜本的な政治改革と制度改革の実施を勧告したことも無視した。(ソウル池田郷)

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