呼び覚ます病魔の記憶

西日本新聞 オピニオン面 上別府 保慶

 私が台湾に駐在していた2003年2月、対岸の中国が「SARS」と呼ばれる重症急性呼吸器症候群が発生したと、世界保健機関(WHO)に連絡した。

 その感染者が香港を経由して台湾にも広がるやいなや、今まさに新型コロナウイルスによる肺炎が日本に起こしているのとそっくりの不安が街中を覆った。

 外国からの観光客はぱったり止まり、デパートや映画館はがらがらに。景気が良いのはゴルフ場ぐらいのもので「ここなら人の密度は薄いから感染しにくい」と中国の工場から帰ってきた台湾の実業家たちが接待に使っていた。

 中国政府の初動対応のまずさは、当時も今回とよく似ていた。一党独裁の下で官僚の事なかれ主義がまん延し、前年11月の時点でSARSの発生を把握しておきながら、情報を封じ込めて事態を悪化させた。それだけではない。自国の一部とみなす台湾に対しては国際機関の加盟に反対し、WHOからも締め出して、SARSの情報を受けられないようにしていた。

 それでいて中国は、台湾にSARSが拡大すると、同胞にマスクなどの物資を送るという融和ポーズを示し、むしろ台湾世論の反発を招いたのだった。

 情報不足の中で、一部の台湾マスコミも香港から戻った感染者をあたかも疫病神のように扱う報道をして無用の恐怖をあおった。結局、台湾ではSARSに346人が感染し、37人が死亡したという(WHOの03年12月の集計による)。

 時が流れた今年1月、台湾のトップを決める総統選では、中国との統一を否定する与党を率いる蔡英文総統が圧勝した。香港市民のデモに圧力をかけ続けた中国の対応が大きく影響したが、17年前のSARS流行を知る人々には、中国が見せた高圧的な態度の記憶も呼び覚ました。

 再選された蔡氏は、当時の政権で対中政策を担当した閣僚であり、自らを「SARSと闘った一員」と強調する。今、再び起きた新型肺炎の拡大を受け、台湾がWHOに加盟する必要性を国際世論に訴えている。

 思い出すのはSARSの混乱が収まりつつあった03年7月、台北市で久々に催されたパソコン機器の見本市のこと。その特別ゲストは日本のアダルトビデオ女優、草凪(くさなぎ)純さんだった。

 テレビは中継で、新聞は1面トップで、ビキニ姿でひらひら舞う草凪さんの姿を報じた。支局の女性助手は「ほかにニュースはないの」と怒ったが、台湾の記者たちは病魔の長いトンネルを抜け出た喜びを大型イベントが再開した光景で伝えたかったはずだ。SARSが政治の重い現実も見せつけた後のあの安堵(あんど)。今の日本も一刻も早くと願うばかりだ。 (特別編集委員・上別府保慶)

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