「全て崩れ落ちた」精子提供で生まれた女性…過去に向き合うきっかけ

西日本新聞 くらし面 国崎 万智

 人生を前向きに歩めるよう、生い立ちや気持ちを支援者と共に整理する「ライフストーリーワーク(LSW)」と呼ばれるプログラムがある。児童養護施設などで暮らす子のために開発されたが、第三者からの精子や卵子提供で生まれた人が取り組む動きが、国内で始まっている。父や母と血のつながりがないと知った当事者が、アイデンティティーの喪失や親子関係の揺らぎといった心の混乱から立ち直ろうとする試みだ。

 「今の状態と心の根底の思いを、木に表してみませんか」。「支援者」である社会福祉士の才村真理さん=大阪府=に提案され、関西地方の60代女性は、白い紙に一本の木を描いた。

 「今のこと」を表す葉には「気分が沈む」「ゆれ、涙」と書き、「元にあるもの」を示す根には「人と違う生まれ」「告知」「親への不信感」などとつづった。「親を不信に思うのはなぜですか」「告知のことがあるから、沈んだ気持ちになるんですね」…。才村さんは言葉を一つずつ取り上げ、女性に確かめる。

 2人は月1回、2時間ほどかけて対話した。開始から2年たち、女性は「感情の揺れ幅が小さくなった」と感じた。過去を意味付けし直したことで「全て失った」と思った告知以前の人生は「消えて無くなったわけじゃない」と捉えられるようになった。提供者の妻に対する後ろめたさも「自分が背負う必要はない」と手放せた。

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 女性は31歳のとき、父と血縁関係がないことを母から告げられた。きっかけは父の入院だった。父と血液型が合わず、隠し通せなくなった。父の生殖機能に不妊の原因があったこと、親戚から精子をもらったこと。親戚の妻は反対しており、妻に内緒で提供されたこと…。「家族との思い出全てが崩れ落ちた」。真実を隠し続けた理由を問い詰めると、母は泣きながら「どうしても産みたかった。生まれてくれてうれしかった」と繰り返した。

 女性には子が2人いた。真実を知らずに命をつないだ責任や、「生きること自体が提供者の妻を傷つけている」罪悪感。母への失望と、親を責める自分への嫌悪感。ぐちゃぐちゃに絡み合った感情を抑えきれず、涙があふれる。誕生日が近づくたびに体調を崩した。

 告知から約20年後、提供精子を子宮に注入する非配偶者間人工授精(AID)で生まれた人たちの自助グループとつながった。活動の中で、第三者を介する生殖補助医療で生まれた子の権利やLSWを研究する才村さんに出会う。

 才村さんとのLSWは2年半でいったん終えた。女性は「評価も否定もされない安全な場所と思えたから、自分の心と向き合えた」と振り返る。

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 AIDは国内では70年以上前から行われ、1万人以上が生まれたとされる。こうした第三者を介する生殖補助医療を規制したり、子どもの出自を知る権利を保障したりする法は国内にない。女性の場合は提供者が分かる例外的なケースだが、多くの場合は提供者が匿名で、子への告知も親の意思に委ねられている。

 才村さんは「思春期以降に告知された人のほとんどは、親の入院や離婚など混乱の中で真実を知り、アイデンティティーを喪失し親から裏切られた感覚に苦しむ。LSWは苦悩に押しつぶされずに生きる一歩になり得る」と強調。「単に過去を思い出して記録するのではなく、場面ごとの気持ちや関わった人を振り返ることで、分断されたと感じた過去・現在・未来に橋を架ける作業」と説く。

 生殖補助医療で生まれた人にLSWを応用する実践方法を学ぶ場がここ数年、東京や大阪で開かれている。大阪市内で8日に行われた学習会では、LSWの専門家や才村さんが講師を務め約30人が参加した。

 会では、2人一組でロールプレーをした。本人役が大切なもの三つを付箋に書き、支援者役が1枚ずつ剥がす。大切なものを「奪われる」ことで、アイデンティティーが崩される感覚を想像する。参加者は「自分が自分ではなくなるむなしさを感じた」「大切なことを再認識できた」など感想を発表した。才村さんは「支援者は本人と信頼関係を築き、心理状態を見極められる力が求められる」と語った。 (国崎万智)

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