「人間の器」について考える

西日本新聞 オピニオン面 永田 健

 今回はいわゆる「人間の器(うつわ)」の大きさ、小ささについて考えてみたい。

 当然ながら「そんなことを書くおまえの器はどれくらいなんだ」との突っ込みが予想されるので、あらかじめ答えておくが、私の人間の器はかなり小さい。居酒屋などで刺し身をしょうゆに付ける皿があるでしょう。おおむねあれくらいのサイズである。

 そこをお断りした上で、具体的な考察に入る。

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 昨年7月に買っていた経済誌「プレジデント」を棚から引っ張り出した。「『人間の器』の広げ方」という特集を掲載している(こんな特集を買うところが私も弱気である)。

 この特集には「謝り方と器」という項目がある。「人間の器の大きさが明らかになるのが謝罪の瞬間」なのだそうだ。「自分に非があれば言い訳せずに謝る」ことが大事らしい。

 経済誌のネット記事「器の小さい上司の行動」アンケートでは「自分の非を認めない」が1位。「情緒不安定」「周囲からの批判に弱い」も10位内に入る。

 「器の大きさ、小ささ」にはさまざまな定義がある。ただ「批判に弱く、すぐ怒り、謝りたがらない」という人物像は「器が大きい」のイメージからは遠い。やはり落ち着き、寛容、懐の深さといった特性が必須、というのが一般的な「器」観と言えそうだ。

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 この視点を踏まえて、政治の世界を眺めてみる。

 安倍晋三首相が12日の衆院予算委員会で、辻元清美議員に「意味のない質問だよ」とやじを飛ばした。辻元氏の「タイは頭から腐る」などの批判に激高したらしい。その場で発言をただされた首相は、辻元氏の質問が「罵詈雑言(ばりぞうごん)」だったとしてやじを正当化し、きちんと謝罪しなかった。

 このやじで予算委が空転したため後日謝罪したが、手元の謝罪文を早口で読み上げるだけだった。首相はこれまでにも数回、審議中のやじで抗議されている。こうした批判に対するナーバスさ、怒りっぽさ、謝罪嫌いという特質を見れば、首相の「器の大きさ」に疑問符がつくのは避けられないだろう。

 米国のトランプ大統領となるとさらに極端だ。その発言はほとんどが「政敵への攻撃」「責任転嫁」「自画自賛」のどれかである。こうした人物を「器が大きい」と評するのは、かなり難しそうだ。

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 しかし、ここで別の問題が生じる。安倍氏もトランプ氏も一定の有権者から底堅い支持を受けている。であるならば、昨今の有権者は、リーダーの資質として「器の大きさ」をあまり重視していないのではないか、という仮説が成り立つのだ。

 両氏の言動に対する支持者の反応を見ていると、寛容や冷静さなど「器の大きさ」につながる資質ではなく、「自分の嫌いな勢力を攻撃してくれる」という攻撃性を指導者に求めているように思える。それはそれで一つの選択だろうが、どこか殺伐とした風潮だ。

 人物評価において「器の大きさ」が重視されないという傾向は、器の小さい私にとっては本来朗報のはずである。しかしどうも喜ぶ気にならない。私はやはり「指導者は器の大きい人物であってほしいよなあ」という昔ながらの願望を捨てきれないのである。

 (特別論説委員・永田健)

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