通知表「絶対評価」20年のひずみ 「1」「2」減ったが評定ミスも

西日本新聞 くらし面 金沢 皓介 前田 英男

 ひと昔前まで、通知表といえば「アヒルの行列」や「耳だらけ」という声も珍しくなかった。5段階評価の「2」や「3」の言い換え。一握りの優秀な生徒を除いて、当時の子どもたちは頑張っても越えられない壁を笑い飛ばすしかなかった。ところが、今の通知表で「アヒル」を見る機会はまれだ。キーワードは相対評価と絶対評価。背景には時代の変化も透ける。

 そもそも通知表が登場したのはいつごろだろうか。歴史に詳しい京都大名誉教授で仏教大の田中耕治教授(教育方法学)によると、小学校の教育内容を定めた1891年の「小学校教則大綱ノ件説明」で、学校と家庭をつなぐために示された連絡簿が原型とされる。このころは、子どもの学びや生活の様子を記す通信欄に多くのスペースが割かれていたという。

 各教科の評定は「甲乙丙」「優良可」などの表記を経て、1955年から1~5の5段階で記される相対評価に変わった。割合は「5」が7%、「4」が24%、「3」が38%、「2」が24%、「1」が7%。40人学級で「5」は最大3人となる。それまでの評価で強く作用してきたとされる教師の主観をできるだけ排除することが目的だった。

 しかし機械的な振り分けに、児童生徒の努力が報われないなどとする批判が間もなく広がる。旧文部省も問題点を認め、71年には必ずしもこの枠組みにとらわれない方針を示している。

 相対評価はその後も維持されたが、2000年の教育課程審議会答申は「学習指導要領に示す内容を習得し、目標を実現しているかどうかの状況や、一人一人の児童生徒のよい点や可能性、進歩の状況を直接把握することには適していない」と指摘。学校間の学力差拡大や児童生徒の減少で客観性が確保されにくくなっていることも挙げ、01年に「目標に準拠した評価」、いわゆる絶対評価へと大きく転換された。

 では何が変わったのか。田中教授は「かつての通知表は学級の中での順位を示すものだった。今は児童生徒それぞれが具体的な目標をどこまで達成しているか、またその過程が評価され質的に異なる」と言う。

 極端に言えば、学級の40人がテストで100点を取り続ければ全員「5」もあり得るし、水泳で25メートルを泳げない子でも努力次第では保健体育で「5」のチャンスがあるということだ。

 「知識や理解に加えて関心、意欲も以前から評価対象だったが、説明責任を含めてより幅広く厳格な対応が求められるようになった」と、二つの評価を知る福岡市の50代の中学校教諭。「評価を教育活動の一環ではなく義務的、補足的なものと理解してきた」(田中教授)学校現場に一石を投じる形にもなった。

 絶対評価は教師の指導力や学校の評価と表裏一体で、結果的に各学校で努力を要する「1」や「2」は減り、十分満足できる「4」「5」が増えた。一方、客観性を担保するため学習のさまざまな場面で細かい基準を設け一人一人を見ていくという複雑な手順も必要に。こうした一連の変化に対するひずみも浮き彫りになっている。

 2年前の学年末、九州北部の中学校で、修了式直後に一部生徒の通知表を回収する騒ぎがあった。技能教科で評定の誤りに担当教師が気付いたためだ。

 原因は授業中の記録などを記した補助簿から成績処理システムへの入力ミス。技能教科は担当教師が少なく、確認がおろそかになったという。多忙化する現場では事務効率化の一環で電子化が進むが、評定を求める計算式の誤りや、指導要録から通知表に転載する際の名簿のずれなど、全国でミスが散見されている。

 電子化による変化は所見欄から手書きが消えつつあることにも現れる。「簡単に修正できる分、管理職からの書き直しの指示が増え、定型のような表現も目立つようになっている」と佐賀県の小学校教諭は言う。 小学校の通知表では外国語活動や総合的な学習の様子を記述で表現。昨年度から道徳の評価も加わった。この教諭は「書いても書いても終わりが見えない。教師の個性や思いがにじむ手書きをどこかに残したいがとても手が回らない」と語り、味気ない通知表に不安を抱く。その形もまた問われている。

 (金沢皓介、編集委員・前田英男)

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