平野啓一郎 「本心」 連載第166回 第八章 新しい友達

西日本新聞 文化面

 大都市に憧れる地方の人間は、みんな、ただ「あっちの世界」に憧れているが、それでも土地には、まだしも留(とど)まり続ける理由がある。けれども階級には? それはただ、なくなればいいだけであって、金持ちたちの気が変わることがない以上、その方法は、みんなが「あっちの世界」を目指す、ということだけではあるまいか。

 平等!――しかし、この世の中のすべてが「こっちの世界」になるくらいなら、せめて「あっちの世界」が、今の贅沢(ぜいたく)な、順調な姿のまま存続してほしいと祈る気持ちも、わからないではなかった。……

 

 <母>にはその間、大きな変化があった。

 野崎から連絡があり、<母>が笑わなくなってしまった理由がわかった。それは些(いささ)か、呆気(あっけ)に取られるような話だった。

「石川さん、なんとなく気分が浮かない時には、話し始める前に、一瞬、ほんの少し視線が下を向くクセがあるようですね。口を開く前に。」

「……そうなんですか。」

「それをAIが学習してしまっていたようですね。普通の人間は、なかなか相手のそういうところまで気がつきませんけど。」

「そのせいで、そのあと幾ら笑っても、心に何かあるって判断されてたんですか?」

「はい。心を直接読むことは出来ませんけど、体の色んな部分に表れますから。そういう特徴のパターン認識は、人間よりAIの方が遙(はる)かに得意です。」

「修正したんですか?」

「いえ。視線の動きは、感情判断の重要な要素ですから、石川さんの方で、今後、お母様とお話しになる時に気をつけられる、という解決法をお奨(すす)めします。お母様を、生きた存在として尊重するならば、外部から改造する、というのではなく、こちらが気をつける、という発想も必要ですから。――もちろん、弊社として、“人間らしさ”の研究は絶えずおこなっていますので、AIそのものは、今回の件も含めてアップデートされ続けますが。」

 個別には修正せずとも、内蔵されているAI自体が更新されるなら、結局、人間とは違うじゃないかと僕は言いかけた。そして、その当たり前過ぎる言葉を呑(の)み込んだ。

平野氏のメッセージ

私たちの生を、さながら肯定する思想を考え続けています。主人公は、愛する母親を亡くしたあと、仮想現実によって再現された母親と生活することになります。その過程で見えてくる母の本心と、自分の心の変化が主題です。乞うご期待!

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)プロフィール

 1975年、愛知県蒲郡市生まれ、北九州市育ち。東京都在住。京都大在学中の99年、デビュー作「日蝕」で芥川賞。「ある男」(読売文学賞)など。「マチネの終わりに」(渡辺淳一文学賞)は福山雅治さん、石田ゆり子さん共演で映画化された。

マチネの終わりにの公式サイト

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