傍聴席でメモは禁止? 久保田正広

西日本新聞 オピニオン面 久保田 正広

 昭和も終わりが近づいた、駆け出し記者のころ。今でも思い出す場面がある。

 うかつにも朝寝坊し、その日最初の取材予定にしていた刑事裁判のため、熊本地裁の法廷に駆け込んだ。

 普段なら傍聴席最前列の記者席に座るのだが、なにぶん遅刻の身。遠慮気味に一般傍聴席の最後部に滑り込み、会社のメモ帳を取り出した。

 すると、顔見知りの地裁書記官が飛んできて、メモは駄目だという。記者席では同業他社の面々がメモ帳を広げているのに、である。

 裁判は公開が原則だが、傍聴席で自由にメモが取れるようになったのは平成になってからだ。記者席は例外であることを、この時、この書記官から教えられた。

 実は当時、こうした傍聴席でのメモ禁止を巡り、東京で国家賠償訴訟が起こされ、全国の裁判所の現場が神経質になっていたようだ。

 この訴訟の原告は、米国人弁護士のローレンス・レペタ氏。経済法の研究で、ある脱税事件に関心を持ち、東京地裁にメモの許可を求めたが許されず、提訴した。

 一、二審は敗訴したが、最高裁大法廷が平成元(1989)年3月、画期的判断を示した。憲法が保障する表現の自由の精神から「傍聴人がメモを取ることを理由なく妨げてはならない」というもの。この後、傍聴席でのメモはごく普通の光景になる。

 日本の司法の閉鎖的な体質に根を張る問題を外国人がこじ開けたことに、私はショックを受けた。本来なら日本の新聞の仕事ではなかったか。

 それから30年。レペタ氏の写真を久しぶりに目にした。公益社団法人「自由人権協会」のニュースレターに一文を寄せていた。テーマは戦後の貴重な憲法裁判などの記録の多くを裁判所が廃棄した問題。昨夏、報道で明るみに出た。

 裁判記録を読めば、裁判官の判断の過程を後から確認することができ、妥当かどうかの検証も可能だ。歴史家にとっては裁判当時の社会や制度を分析する史料になる。まさに国民共有の財産だろう。

 にもかかわらず憲法判断を含む価値ある民事裁判の記録が無分別に捨てられていた。レペタ氏の法廷メモ訴訟の記録も含まれていたという。

 レペタ氏が再び問う。

 「なぜ、裁判所は傍聴人のメモを禁止したのでしょう? なぜ、裁判所は裁判記録の破棄を許可しているのでしょうか? その答えは同じかもしれません。彼らが、国民が自分たちの行動を監視できないように暗闇で仕事することを好んでいるように見えます」 (論説副委員長)

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