平安仏教を今に伝える木彫3仏像 九州最古級、糸島の浮嶽神社に鎮座

西日本新聞 もっと九州面 竹森 太一

大宰府との交流浮き彫り

 糸島は古代九州の政治的な中心だった大宰府に近い。中央(畿内)や大宰府と大陸との「文化の結節点」ともいえる地理的な環境から、早くに仏教文化が浸透したという。その一つの象徴が、九州最古級という浮嶽(うきだけ)神社(福岡県糸島市二丈吉井)の3体の木彫像。国の重要文化財にそれぞれ指定されている平安時代前期の作で、木彫群と呼ばれることもある。脊振山地の西端、浮嶽(805メートル)の中腹にある神社を訪ね、今も残る仏像の前に立った。

 市教育委員会によると、浮嶽神社の木彫群は古代、浮嶽にあった久安寺に安置されていたという。久安寺は、奈良時代に聖武天皇の勅願でインドからの渡来僧、清賀上人(せいがしょうにん)が開いたとされる「怡土(いと)郡七ケ寺」の一つと伝わる。

 明治政府の神仏習合を禁じる「神仏分離令」で木彫群は破壊される危機にひんしたが、地元で守り抜かれ、浮嶽神社が受け継ぐ形に。現在は境内の収蔵庫に置かれている。

 2月中旬の週末、普段は閉め切られている収蔵庫の扉を開けてもらった。

 「如来形立像(ぎょうりゅうぞう)」「如来形坐像(伝薬師如来)」「僧形立像(地蔵菩薩)」の3体が薄明かりの下で醸し出す荘厳な雰囲気に圧倒された。いずれも1本のカヤと思われる丸太から、像のほとんどを彫り上げて造形されている「一木(いちぼく)彫像」だ。

 現在は木材の素地があらわになっているが、当初は彩色像だったとみる研究者もいる。手足など失われている部分があるのは、神仏分離令に伴う廃仏毀釈(きしゃく)運動によるものだと地元では伝えられている。

 像高180・2センチの如来形立像は、小顔で腰高のすらっとした立ち姿が印象的。目の前で見上げると、等身の大きさを実感する。目はややつり上がり、非常に厳しい表情に見える。

 木彫群に詳しい福岡市美術館の宮田太樹(だいき)学芸員(31)は「厚みのある体つき、衣の鋭く深くえぐられた陰影の強い彫り口が、平安時代初期の特徴として際立つ」と話す。

 如来形坐像、僧形立像は、左肩の着衣の折り返しや衣文の表現などが似ているように思えた。いかめしい顔つきも共通で、見つめていると背筋が伸びる。

 宮田学芸員は「浮嶽は古来、海の信仰や山岳信仰などさまざまな信仰が重なり合う場所だったと伝わる。古い文献には残っていないが、祈りの場として重要視されていたことが仏像の存在から想像できる」と語る。

 伊都国歴史博物館の河合修学芸員(47)によると、740年に起きた「藤原広嗣の乱」の後の災いを受けた御霊(ごりょう)信仰が、木彫群制作の契機になったとの見方もある。

 浮嶽の山容は、佐賀県唐津市方面から見ると、山頂のとがった美しい形で知られる。航海の目印としても大切にされたという。

 九州歴史資料館の井形進学芸員(48)は、如来形立像のV字形をした衣文などの表現や技法が、観世音寺の阿弥陀如来立像といった太宰府周辺地域に残る平安前期の作例に通じると指摘。「3体がこれらと共に、大宰府ゆかりの同じ工房で近い時期に造像された可能性がある」とし、古代の浮嶽と大宰府の結び付きをうかがわせることに注目している。

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 浮嶽神社では、大祭の際などに収蔵庫を開放している。現地で対応可能な日は、事前連絡による予約で拝観が可能。同神社=092(326)5641。(竹森太一)

伊都国歴史博物館で企画展

 糸島市立伊都国歴史博物館(福岡県糸島市)で開催中の企画展「糸島仏~いとしまのみほとけ」では、浮嶽神社の木彫像(パネル展示)の伝来の背景や「清賀上人と怡土郡七ケ寺」、大陸で制作された「渡来仏」などに着目し、地域性豊かな仏教文化を掘り下げている。

 糸島ゆかりの仏像や仏画などを展示。雷山千如寺など、脊振山系にあった山岳寺院の古代から中世にかけての活発な活動がうかがえる。

 3月15日まで。開館は午前9時~午後5時、原則月曜休館。入館料は一般220円、高校生110円(小中学生、65歳以上など無料)。同館=092(322)7083。

※西日本新聞糸島支局インスタグラム「nnp.itoshima」でも仏像の未掲載写真を公開しています。

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